2019年9月– date –
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古事記|神武③|東征|宇陀の戦い。エウカシとオトウカシの兄弟。
【吉野で軍勢を得る】 現代語 そこで、遣わされた八咫烏の後を進んで行き、吉野河の河尻(下流)に到着したところ、 竹を編んで作った漁具で漁をしている人がいました。 そちは誰じゃ? 私は国神(くにつかみ)で、贄持之子(ニヘモツノコ)と申します。 ... -
古事記|神武④|東征|忍坂の戦い。八十建掃討作戦と天神御子軍の戦歌
【忍坂の大室】 現代語 宇陀を制圧した神倭伊波禮毘古命は、いよいよ大和へと向かうべく宇陀から下り、忍坂(おさか)にさしかかりました。 そこには、尾のある土雲の大勢の兵士が、大室にたむろしています。 そこで神倭伊波禮毘古命は作戦を考えました。 ... -
古事記|神武⑤|ヤマト建国|橿原宮造営と大物主神の娘
【橿原宮の造営】 現代語 ナガスネヒコ討伐を果たした神倭伊波禮毘古命のもとに、邇藝速日命(ニギハヤヒの命)がやってきて、 天神御子が天降られてこられたと聞きましたので、私も後を追って降ってきました。 と申し上げ、天津瑞(あまつしるし)を天神... -
古事記|神武⑥|妻問い説話|伊須気余理比賣との結婚と御子
【妻問い説話】 現代語 さてさて、 髙佐士野(たかさじの)を七人の乙女が歩いています。その中に伊須気余理比賣もいるようですよ。 大久米命が伊須気余理比賣を見つけて、歌で神武天皇に申しあげました。 倭の高佐士野を 七人で行く乙女たち、 誰をお召し... -
古事記|2代綏靖天皇
【母の苦悩】 現代語 神武天皇が崩御されたあと、九州で生まれた庶兄(まませ)の當藝志美美命(タギシミミ)がやってきました。 そして、あろうことか亡くなられた父の皇后であった伊須氣余理比賣(イスケヨリヒメ)を娶り、神武天皇の子である兄弟三人を... -
古事記|3代安寧天皇
【3代 安寧天皇】 現代語 師木津日子玉手見命(シキツヒコタマテの命)は、片鹽浮穴宮(かたしほのうきあなのみや)に都を定め、天下を治められました。 安寧天皇(師木津日子玉手見命)が、河俣毘賣(カハマタビメ)の兄の縣主波延(アガタヌシノハエ)... -
古事記|4代懿徳天皇
【4代懿徳天皇(いとく)】 現代語 大倭日子鉏友命(オホヤマトヒコスキトモの命)は、軽の境岡宮(かるのさかひをかのみや)に都を定めて、天下を治められました。 懿徳天皇が、師木縣主(しきのあがたぬし)の祖の賦登麻和訶比賣命(フトマカヒメの命)... -
古事記|5代孝昭天皇
【5代孝昭天皇(こうしょう)】 現代語 御眞津日子訶惠志泥命(みまつひこかゑしねの命)は、葛城掖上宮(かづらきのわきかみのみや)に都を定めて、天下を治められました。 天皇が尾張連(をはりのむらじ)の祖の奧津余曾(オキツヨソ)の妹の余曾多本毘... -
古事記|6代考安天皇
【6代 考安天皇(こうあん)】 現代語 大倭帶日子國押人命(オホヤマトタラシヒコクニオシヒトの命)は葛城の室の秋津嶋宮(あきづしまのみや)に都を定めて、天下を治められました。 天皇が姪の忍鹿比賣命(オシカヒメの命)を娶って生まれた子は、 大吉... -
古事記|7代孝霊天皇
【7代 孝霊天皇(こうれい)】 現代語 大倭根子日子賦斗邇命(オホヤマトネコヒコフトニの命)は黑田廬戸宮(くろだのいほとのみや)に都を定めて、天下を治められました。 孝霊天皇が十市縣主(とをちのあがたぬし)の祖の大目(オオメ)の娘の細...