2020年5月– date –
-
日本書紀|第一代 神武天皇⑥|東征伝承とルート~埃宮・高嶋宮・日下
神武天皇は出雲王朝と交渉を重ね、とうとう安芸国を譲り受けました。これで、九州全土に加え、山口県と広島県を包含したことになります。 しかし大和の中洲まではまだまだ遠い道のりです。 記紀によると、安芸国の埃宮を出立した皇軍の次の到着地は吉備国... -
日本書紀|第一代 神武天皇⑦|東征伝承とルート~河内で大敗~
神武天皇は、高嶋宮を出立したのち、兵庫県沿岸に寄港しながら河内国を目指しました。 難波の碕に上陸して神祀りを行い、生駒山を目標に河内湖を東へと航行し、草香邑の白肩津から河内国に上陸しました。 そこで待っていたものは、、、 【孔舎衛坂の戦い】... -
日本書紀|第一代 神武天皇⑧|東征伝承とルート~名草から新宮へ~
ナガスネヒコとの戦闘に敗れ、生駒山地を越えることができなかった神武天皇軍は、日を背にして戦うのがよいとして、紀伊半島を大きく迂回することにしました。 しかし普通に考えますと、紀伊半島を何日もかけて迂回するのはリスキーです。 私見としては、... -
日本書紀|第一代 神武天皇⑨|東征伝承とルート~新宮制圧~
二木島沖で遭難し、二人の兄をはじめとして多くの従者と船を無くした神武天皇。伊勢への航海は諦め、二木島に滞在して造船し、一旦佐野に戻ったと思われます。 佐野で態勢を立て直して、、、 【丹敷戸畔と新宮平定】 天皇は、一人で皇子の手硏耳命(たぎし... -
日本書紀|第一代 神武天皇⑩|東征伝承とルート~熊野から吉野宮滝~
【八咫烏の登場】 皇軍は国の中心に向かおうとしましたが、山中は険しく、通れる道も見つかりません。遂に、行くべき道も渡るべき川もわからなくなってしまい、動けなくなりました。 そんなある夜、天皇は夢を見ました。その夢は、、、、 天照大神が、 「... -
日本書紀|第一代 神武天皇⑪|東征伝承とルート~宇陀・吉野の平定~
【兄猾討伐】 同年(前663) 秋 8月2日 天皇は、兄猾(えうかし)と弟猾(おとうかし)を召し出しました。二人は菟田縣の魁帥(ひとごのかみ:首長)でした。 兄猾の方は来ないで、弟猾だけがやってきて軍門で礼拝し、 「兄猾は反逆を企てています。... -
日本書紀|第一代 神武天皇⑫|東征伝承とルート~天皇の誓約~
【賊軍の配置】 天皇は、莬田の高倉山(たかくらやま)に登り、あたりを見渡しました。 すると、国見丘(くにみのおか)に八十梟師(やそたける)が陣取り、女坂に女軍を、男坂に男軍を置き、墨坂で炭火をおこして待ち構えていました。 その女坂とか男坂と... -
日本書紀|第一代 神武天皇⑬|東征伝承とルート~国見丘の戦い~
【国見丘の戦い】 同年(前663) 冬 10月1日。天皇は、その厳瓮の神饌を召し上がり、兵を整えて出陣されました。 まずは、国見丘で八十梟師(やそたける)を攻撃し、これを撃破しました。この役(えき:戦い)では、天皇は必勝の志を持ち続けました...
1