2020年12月– date –
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日本書紀|第十五代 応神天皇⑫|呉の工女・立太子・崩御
【呉の縫工女と、百済の新斎都媛の来朝】 応神37年 丙寅(ひのえのとら) 306 二月一日 阿知使主 を求めさせました。 阿知使主らは、まず、高麗国 の二人を副えて道案内としたので、無事に呉に着くことができました。 そこで呉王は、工女 の四人の... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇①|皇位の譲り合い
大鷦鷯天皇 -おほさざきのすめらみこと- 第十六代 仁徳天皇 -にんとくてんのう- 【】 大鷦鷯天皇の孫です。 天皇は、幼い頃から聡明で叡智にあふれ容姿も美しく、壮年になると思いやりや優しさを持つ立派な人となりました。 原 文 大鷦鷯天... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇②|倭の屯田は誰のもの?
【倭の屯田は山守のもの】 額田大中彦皇子に、 「この屯田は、もともと山守の地である。しかし今からは私が治めることにする。よって、お前にの治めるところではない。」 と言われたので、淤宇宿禰はこの事を太子(菟道稚郎子)に報告すると、 「この件は... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇③|大山守皇子の反乱
【大山守皇子の反乱】 その後のこと。大山守皇子は常日頃から、先帝から排されて皇太子に立てなかったことを恨んでいましたが、この一件でさらに恨みが増して、遂に謀略を企てて、 「太子(菟道稚郎子)を殺して、天皇になるぞ。」 と言いました。 大鷦鷯... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇④|太子の死、そして大鷦鷯尊の即位
【】 太子は、既に宮室(おほみや)を菟道に建てておられましたが、なおも皇位を大鷦鷯尊に譲ろうとされたため、皇位に就きませんでした。なので、皇位が空席のまま、既に三年が過ぎました。 この間に、海人が鮮魚の苞苴(にへ)を持ってきて、菟道宮に献... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑤|大鷦鷯皇子の命名説話
【大鷦鷯皇子と命名】 これより前のこと、天皇がお生まれになった日に、木菟が産殿に入ってきました。 明朝、応神天皇が大臣の武内宿禰をお呼びになられて、 「これは何のしるしだろうか?」 とお尋ねになると、 「これは吉兆です。実は、昨日、私の妻が出... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑥|竈の煙と聖帝
【民の竈の煙】 仁徳4年 丙子(ひのえのね) 316 二月六日 群臣に詔して 「朕、高殿に昇って遠望したところ、人家の煙が立ち昇っていない。これは、人民が貧しく、米を炊くものがいないからであろう。 朕が聞くところでは、古(いにしえ)の聖王の... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑦|堀江の開削と茨田堤
【難波の堀江】 仁徳11年 癸未(みずのとのひつじ) 323 四月十七日 天皇は群臣に詔して、 「今、朕はこの国を見るに、野や湿地帯は広大だが、田圃は少ない。河の水は氾濫し、河口での流れは遅い。長雨が降れば、海水が逆流して里でも船に乗らない... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑧|大阪平野の本格的な開拓が始まる
【鉄の盾、鉄の的】 仁徳12年 甲申(きのえのさる) 324 七月三日 高麗国が鉄の盾と鉄の的を貢上しました。 八月十日 朝廷で高麗の客を饗応しました。そのとき、群臣百寮が集まり、高麗が献上した鉄の盾と鉄の的を射させましたが、誰も射通せませ... -
日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑨|玖賀媛、そして八田皇女
【桑田の玖賀媛】 仁徳16年 戊子(つちのえのね) 328 七月一日 天皇は、宮人(女官)の桑田玖賀媛を、近習の舎人らに見せて、 「朕、この女官を妃にと思うのだが、皇后が妬みがひどいので、歳月が過ぎてしまった。盛年を無駄にするのは惜しい。」...