2021年1月– date –
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日本書紀|第十九代 允恭天皇①|皇位継承を辞退する
雄朝津間稚子宿禰天皇 -おあさつまわくごのすくねのすめらみこと 第十九代 允恭天皇 -いんぎょうてんのう- 【皇位継承を辞退する】 雄朝津間稚子宿禰天皇天皇の同母弟です。 天皇は、幼いときから秀でておられ、心根のやさしいお方でしたが... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇②|即位を承諾する
【皇后の説得】 允恭 412 十二月 妃の忍坂大中姫命は、群臣の憂い嘆くのを苦しまれて、自ら洗手水を取り皇子の御前に進まれて、 「大王は、皆の希望に添っていただき、敢えて帝位にお就き頂きたくお願い申し上げます」 と申し上げましたが、皇子は背... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇③|失敬な闘鶏国造
【】 これより前のことで、皇后がお母様と暮らしておられた頃のことです。 一人で庭で遊んでおられると、闘鶏国造から覗き込み、ふざけながら皇后に 「上手に庭園を造ってるなぁ。お前」 と言いました。また、 「おい、姉ちゃんよ、その蘭を一茎くれよ」 ... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇④|盟神探湯(くたかち)で氏姓を正す
【姓名を正す】 允恭3年 甲寅 414 正月一日 使者を遣わして、新羅に名医を求められました。 八月 新羅から医師が来朝し、天皇の病を治すよう命令しました。幾日もかからず病は治りました。天皇は大変お喜びになり、医師を厚くお礼をして、国に帰さ... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇⑤|玉田宿禰を粛清
【玉田宿禰の怠慢】 允恭5年 丙辰 416 七月十四日 地震がありました。 これより先に、葛城襲津彦を命じていました。 地震があった夜に、尾張連吾襲の状況を調べさせました。すると、皆欠けることなく集まっていましたが、ただ、玉田宿禰だけ居ませ... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇⑥|衣通郎姫(そとおしのいらつめ)
【】 允恭7年 戊午 418 十二月一日 新築祝いの宴がありました。天皇が自ら琴を弾き、皇后が立って舞われましたが、舞い終わっても礼事を言われませんでした。当時の風習として、宴会の時に舞う人は、舞い終わると、座長に対して「娘子を奉る」と言... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇⑦|烏賦津使主、見事に弟姫を連れてくる
【の作戦勝ち】 烏賦津使主は、 「既に天皇の必ずお連れてくるようご命令を受けております。もし連れて来なければ罪とすると。戻って極刑を被るよりは、お庭で座したまま死んだ方がましでございます」 と言いました。そして、庭に伏して7日、食物を与えら... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇⑧|衣通郎姫は茅渟宮へ。天皇は足繁く、、、
【茅渟の宮へ】 衣通郎姫は、 「私めは、王宮の近くで昼夜問わず常に陛下の立派な御姿を拝見しとうございます。しかし、皇后は私めの姉です。私めが原因で陛下を恨んでおられ、また私めのせいで苦しんでおられます。ですので、王宮から遠く離れた所に住み... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇⑨|明石の大真珠
【赤石の大真珠】 允恭14年 乙丑(きのとのうし) 425 九月十二日 天皇が淡路嶋で狩をされました。その時、大鹿・猿・猪が山谷に満ち満ちて入り乱れていて、炎のように現れては蠅のように散っていくような有様でしたが、しかし、まる一日しても一... -
日本書紀|第十九代 允恭天皇⑩|梨軽皇子・軽大娘皇女の近親相姦
【の禁断の恋】 允恭23年 甲戌 434 三月七日 木梨軽皇子もまた妙艶な美女でした。 太子は、ずっと、軽大娘皇女と合わさりたいと思っておられたが、罪になることを恐れて黙っていました。しかし、その感情はますます盛んになり、死にそうなほどでし...