2021年2月– date –
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日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑲|月夜の赤馬
【月夜の赤馬】 七月一日 河内国から、 「飛鳥戸郡が驚いたときのように聳え立ち、その異体は霊的なものから生まれたようで、特別な相をしていて秀逸さを発していました。 伯孫は土煙を立ち上げて抜け出し、とんでもない速さで駆けて行って見えなくなりま... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑳|水間君の鳥養人・川瀬舎人の設置・直丁が鳥養部に降格
【水間君の養鳥人】 雄略10年 丙午 466 九月四日 身狭村主靑の犬に噛み殺された」と伝わります 水間君は 恐れて心配して、黙っておられず、鴻らを献上して、罪の赦しを願い出ました。それで天皇はお許しになられました。 十月七日 水間君の二... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉑|大工の棟梁 闘鶏御田(つげのみた)
【】 雄略12年 戊申 468 四月四日 身狭村主靑を呉国に遣わしました。 十月十日 木工を造らせました。 御田は楼閣に登って、四方八方を走り回り、まるで空を飛んでいるようでした。時に伊勢の采女が楼閣の上を仰ぎ見て、その素早さに驚いて... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉒|歯田根命の乱、文石小麻呂の乱
【小嶋子のためなら馬八頭など惜しくはないぜ!】 雄略13年 己酉 469 三月 狹穂彦に引き渡して、責めました。歯田根命は、馬八匹・大刀八口でその罪を祓い、詠んだ歌。 やまのべの こしまこゆゑに ひとねらふ うまのやつぎは をしけくもなし ... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇に㉓|私、失敗しませんから!韋那部眞根
【 ”】 九月 木工の韋那部眞根は、石を台にして、斧を振るって木材を削っていました。一日中削っていても、斧を傷つけることはありませんでした。 天皇がそこにお出ましになられ、これを不思議に思って、 「失敗して、斧が石に当たることはないのか」 と... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉔|住吉津と磯歯津路をつなぐ呉坂
【呉国との交流】 雄略14年 庚戌 470 正月十三日 身狭村主靑に泊まりました。 是月 呉からの客のために、磯歯津路といいます。 三月 臣や連に命じて、呉の使者を迎えさせ、呉人を檜隈野とされました。 漢織の先祖です。 原 文 十四年春正月丙... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉕|あれは大草香皇子の玉縵ではないか!
【】 四月一日 天皇は呉人をもてなそうと思われて、群臣に順番に 「饗応約は誰がよいか」 と尋ねられました。群臣は口をそろえて、 「根使主がよろしいかと」 と言いました。 そこで、天皇は、根使主の装飾を調べさせました。 舎人は、 「根使主はたいそ... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉖|秦酒公「うづまさ」の姓を賜る。養蚕推奨で秦氏が全国へ。
【秦のうずまさ】 雄略15年 辛亥 471 秦民は気に病みながら、天皇に仕えていました。 天皇は秦酒公が気に入っておられたので、詔して秦民を集めて秦酒公にお与えになられました。 公」とは、すべてを積み上げた形のことをいう」とのこと。 原 文 ... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉗|伊勢の朝日郎の反乱
【朝日郎の反乱】 雄略18年 甲寅 474 八月十日 物部菟代宿禰を誅殺させることにしました。 朝日郎で待ち構えて迎え撃ちました。 射撃の腕前は自負していて、官軍に向かって 「朝日郎の相手になる者はいるか!」 と言いました。 その射た矢は、二重... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉘|食器職人集団「贄土師部」の始まり
【】 雄略17年 癸丑 473 三月二日 詔して、土師連等に 「朝夕の膳に使う清浄な食器を作る者を献上せよ」 と命じられました。 土師連といいます。 原 文 十七年春三月丁丑朔戊寅 詔土師連等「使進應盛朝夕御膳淸器者 」於是 土師連祖吾笥 仍...
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