2021年11月– date –
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日本書紀|第二十五代 武烈天皇②|太子と鮪の歌合戦、そして鮪の死
小泊瀬稚鷦鷯天皇(をはつせのわかさざきのすめらみこと) 第二十五代 武烈(ぶれつ)天皇 、、、続き、、、 【太子と鮪の歌の応酬】 しばらくして鮪がやって来て、太子を押して影媛の間に割って入ったので、太子は影媛の袖を離して、前に回って鮪と向か... -
日本書紀|第二十五代 武烈天皇③|平群真鳥大臣が滅亡し、武烈天皇が即位
小泊瀬稚鷦鷯天皇(をはつせのわかさざきのすめらみこと) 第二十五代 武烈(ぶれつ)天皇 、、、続き、、、 【太子、眞鳥大臣を誅殺する】 (仁賢十一年) 十一月十一日 大伴金村連は、太子に 「眞鳥のやからは、討つべきです。ご命令を頂けませ... -
日本書紀|第二十五代 武烈天皇④|武寧王の誕生、斯我君が子を産む
小泊瀬稚鷦鷯天皇(をはつせのわかさざきのすめらみこと) 第二十五代 武烈(ぶれつ)天皇 、、、続き、、、 【百済の嶋王】 この年(武烈4年) 末多王「12」です。 百済新撰には 「末多王は無道で百姓に暴虐であったので、国人は末多王を捨てて武寧王を... -
日本書紀|第二十六代 継体天皇①|応神天皇5世孫・逃げた倭彦王
男大迹天皇(をほどのすめらみこと) 第二十六代 継体(けいたい)天皇 【】 bk-1-1 男大迹天皇をほどのすめらみこと(継体天皇)またの名は彦太尊の七世の孫「2」でいらっしゃいます。 天皇の父は、振媛「3」の別邸から、三国の坂中井「4」に使者... -
日本書紀|第二十六代 継体天皇②|越前国から樟葉宮へお出ましになる
【をお迎えに行く】 継体元年 丁亥 507年 元年春一月四日、大伴金村大連はまた諮って、 「男大迹王を継がれるべきお方である。ねんごろに進めて、皇統を盛んにしようではないか」 と言いました。 物部麁鹿火大連らもまた口を揃えて、 「ご子孫を詳し... -
日本書紀|第二十六代 継体天皇③|継体天皇の即位
【継体天皇の即位】 二月四日、大伴金村大連「10」を奉って再拝しました。 男大迹天皇は辞退して、 「民を我が子として国を治めることは重き仕事である。私は才なく、天子を称するには不足である。もっと熟慮して、真の賢者を選びなさい。私なんぞに敢えて... -
日本書紀|第二十六代 継体天皇④|皇后と8人の妃たち
【皇后を迎える】 三月一日詔して、 「天神地祇を祀るには、神主がなくてはならず、宇宙(天下)を治めるには君主がなくてはならない。天は人民を生み、元首を打ち立てて助け養うように司り、その生を全うさせる。 大連は朕に子のないことを心配し、国家の... -
日本書紀|第二十六代 継体天皇⑤|筒城宮へ遷都する
【武烈天皇の埋葬と、筒城宮への遷宮】 継体2年 戊子 508年 二年冬十月三日、武烈天皇を傍丘磐杯丘陵「17」に埋葬申し上げました。 十二月に、南の海の中の 耽羅人に使者を送りました。 原 文 二年冬十月辛亥朔癸丑、葬小泊瀬稚鷦鷯天皇于...
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