2022年1月– date –
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日本書紀|第二十六代 継体天皇⑫|新羅が任那に侵攻
bk-1-48 【任那王「己能末多干岐」の嘆願】 夏四月七日、任那王であろう。 大伴大連金村に、 「海の向こうの諸国に、胎中天皇(応神天皇)が官家を置かれてから、もとの国を排除せず、もとの国に管理させたのは、それが道理だからです。 今、新羅は、元々... -
日本書紀|第二十六代 継体天皇⑬|継体天皇24年の詔・毛野臣の所業
【継体24年の詔】 継体24年 庚戌 530年 二十四年春二月一日、詔して、 「磐余彥(祟神天皇)から、皆、博識な臣たち・道理に明るい者を助けとしてきた。 例えば、道臣命(崇神天皇)は隆盛になられたのだ。 継体の君主が中興の功を立てたい... -
日本書紀|第二十六代 継体天皇⑭|新羅と百済が任那を浸蝕・継体天皇崩御
【百済・新羅・任那の連合軍】 (毛野臣に使いに出して援軍を要請しました。「53」 毛野臣といいます で迎え撃ちましたが、半分が死傷しました。 百済は奴須久利を責め罵って、 「毛野臣を出せ」 と言いました。 毛野臣は城を固めており、捕らえることが出... -
日本書紀|第二十七代 安閑天皇①|皇妃と皇子女、後宮乱入事件
勾大兄廣國押武金日天皇 (まがりのおほえのひろくにおしたけかなひのすめらみこと) 第二十七代 安閑(あんかん)天皇 【】 勾大兄広国押武金日天皇 とおっしゃいます。 この天皇の人となりは、底知れないほどに器が大きく、猛々しくも寛大で、人... -
日本書紀|第二十七代 安閑天皇②|三妃の屯倉、竹村屯倉、狭井田屯倉
勾大兄廣國押武金日天皇 (まがりのおほえのひろくにおしたけかなひのすめらみこと) 第二十七代 安閑(あんかん)天皇 【百済の朝貢】 (安閑元年) 五月、百済らを遣わして、貢物を献上し、別に上表文も献上しました。 原 文 五月、百濟遣下部脩德嫡...
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