20代安康天皇①|天皇、暗殺される

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安康天皇の宮・后妃皇子女

現代語

允恭天皇の御子の穴穗御子(あなほのみこ)は、石上之穴穗宮(いそのかみのあなほのみや)に都を定めて、天下を治めました。

原文

御子、穴穗御子、坐石上之穴穗宮、治天下也。

簡単な解説

石上之穴穗宮

奈良県天理市田町に鎮座する「穴穂神社」がその跡地とされています。すぐそばを石上神宮から流れ来る布留川が流れています。

 

大日下王の哀れ

現代語

天皇は、弟の大長谷王子(おほはつせのみこ)の為に、大日下王(おほくさかのみこ)の所に坂本臣らの祖の根臣(ねのおみ)を遣わせて、

「そなたの妹の若日下王(わかくさかのひめみこ)を、私の弟の大長谷王子に娶らせたいと思っておる。献上するように。」

と告げさせた。

大日下王は、四度拝礼し、

「このようなことがありましょうや!信じられません!では、大切な妹は外には出さずにおきましょう。恐れ多いことですがご命令のとおりに進めさせていただきます。」

と申し上げた。

承諾の返事だけでは失礼になると考え、その妹の礼のために押木の玉縵(おしきのたまかづら)を持たせて献上しました。

しかし、根臣は、その祝い物の玉縵を盗み取り、大日下王を讒言するに、

「大日下王は勅命(みことのり)を拒み、『わたしの妹を、同列の氏族の下働きにできるか』とおっしゃり、太刀に手を掛けて、お怒りでした」

と報告しました。

この為、天皇は激怒。大日下王を誅殺し、大日下王の正妻である長田大郎女(ながたのおほいらつめ)奪い取ってを皇后としました。

原文

天皇、爲伊呂弟大長谷王子而、坂本臣等之祖・根臣、遣大日下王之許、令詔者「汝命之妹・若日下王、欲婚大長谷王子。故可貢。」爾大日下王、四拜白之「若疑有如此大命。故不出外、以置也。是恐、隨大命奉進。」然、言以白事、其思无禮、卽爲其妹之禮物、令持押木之玉縵而、貢獻。

根臣、卽盜取其禮物之玉縵、讒大日下王曰「大日下王者、不受勅命曰『己妹乎、爲等族之下席』而、取横刀之手上而怒歟。」故、天皇大怒、殺大日下王而、取持來其王之嫡妻・長田大郎女、爲皇后。

簡単な解説

悪い奴がいるものですね。この根臣にこそ天誅を与えなければならないと思うのですが、古事記にはそのシーンは描かれていません。残念でなりません。

大日下王

大日下王は、仁徳天皇と髪長比売との御子です。

仁徳天皇の御子と言えば、17代履中天皇、18代反正天皇、19代允恭天皇と3代に渡って天皇に即位してきました。

允恭天皇の次も、同じ仁徳天皇の御子である大日下王が世継ぎになってもおかしくないところ。

ですが、これら天皇になった3人と大日下王とには決定的な違いがありました。母親です。

天皇になった3人の母親は石長比売。すなわち、葛城氏系の皇子たちでした。

ですから、大日下王は、「聖帝」といわれた仁徳天皇の御子としてのプライドとして、安康天皇を同等あるいは下に見ていた可能性も無くはないのでしょう。

大日下王には無かったとしても、安康天皇側には、そんな気持ちがあったのかもしれません。根臣は、そこを巧く突いたのかもしれませんね。

 

目弱王の天皇暗殺

現代語

その後、天皇が昼寝をされておられる時、后に尋ねました。

「何か気になることがあるのか」

后は、

「あなた様のご寵愛を受け、何の気掛かりもありません」

とお答えしました。

 

大后には、前夫の大日下王との間に、目弱王(まよわのみこ)という子がおり、このとき七歳になっていました。

目弱王は、天皇と皇后が話をしているとき、寝床の下で遊んでおりました。

天皇はそのことを知らずに、皇后に言いました。

「実は私には気になることがあるのだ。そなたの子の目弱王が成人した時、自分の父を殺したのが私だと知ったら、反逆するのではないかと心配しているのだ。」

寝床の下で遊んでいた目弱王は、この会話を聞いてしまいました。

天皇が寝ておられる時を窺って、あろうことか、そばにあった大刀で天皇の首を打ち斬って、都夫良意富美(つぶらおおみ)の家に逃げ込みました。

天皇は56歳でお亡くなりになり、御陵は菅原之伏見岡(すがはらのふしみのをか)にある。

原文

自此以後、天皇坐神牀而晝寢。爾語其后曰「汝有所思乎。」答曰「被天皇之敦澤、何有所思。」於是、其大后先子・目弱王、是年七歲、是王當于其時而遊其殿下。爾天皇、不知其少王遊殿下、以詔「吾恒有所思。何者、汝之子目弱王、成人之時、知吾殺其父王者、還爲有邪心乎。」於是、所遊其殿下目弱王、聞取此言、便竊伺天皇之御寢、取其傍大刀、乃打斬其天皇之頸、逃入都夫良意富美之家也。

天皇御年、伍拾陸歲。御陵在菅原之伏見岡也。

簡単な解説

どうやら天誅は根臣ではなく安康天皇に下ったようですね。

都夫良意富美(つぶらおおみ)

円大臣とも。本名を葛城円(かつらぎのつぶら)といいます。

天皇の外戚として権勢を欲しいままにしていた葛城氏も、この葛城円が最後の大臣となり、没落していきます。

菅原之伏見岡の陵

奈良市宝来、第二阪奈道路の入り口脇にあります。最寄り駅は近鉄橿原線の尼辻駅です。

現在は宮内庁により治定されているものの、実は古墳ではなく中世の山城(宝来城)跡である可能性が高いらしいです。

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