20代安康天皇②|大長谷王という男、狂暴につき、、、

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目弱王の最期

現代語

安康天皇が暗殺された時、弟の大長谷王子(おほはつせのみこ)は、まだ少年であったが、事件を聞いて激怒し、兄の黒日子王(くろひこのみこ)の家に行き、

「兄さん!人が天皇を殺したよ!どうする?」

と尋ねた。

しかし、黒日子王は驚きもせず無関心な様子でした。

なので、大長谷王は

「天皇でもあり、兄でもあるんだよ!なのに、天皇への思いもないし、兄が殺されたと聞いても驚くこともなく、何もしないとは何事か!!!」

と罵り、黒日子王の襟首をつかんで引きずり出して、切り殺しました。

次に、兄の白日子王(しろひこのみこ)の家に行き、同じように訊ねると、、、

この兄も、黒日子王と同じように無関心な様子だったので、首根っこを掴んで小治田(をはりだ)まで連れて行き、穴に埋めました。腰まで埋まったところで、両目が飛び出して亡くなりました。

ということで、少年にもかかわらず自ら軍を起こして、目弱王が逃げ込んだ都夫良意美(つぶらおみ)の家を取り囲みました。

両軍から射放たれた矢が、まるで葦の様に飛び交います。

そんな中、大長谷王は矛(ほこ)を杖のように突き立てて進み、都夫良意美(つぶらおみ)の屋敷の中を窺いながら、

「先日、臣と相談した乙女は、もしやこの家の中に居るのか!」

とおっしゃいました。

すると、都夫良意美が聞きつけ家から出てきて、武装を解いて八度拝礼して申し上げました。

「先日、お話を頂いた娘の訶良比賣(からひめ)は、お命じに従ってお仕えさせます。また、5村の屯宅を付けて、お仕えさせます。(この五村屯宅とは、今の葛城の五村の苑人です。)

しかしながら、私はあなた様に従うことは出来ません。

それは、昔から臣や連が王宮に逃げ込むといったことは聞いたことがありますが、未だかつて、王子(みこ)が臣下の家に逃げ込む、などということは聞いたことがないからです。

思うに、賤しき臣下でありますから、全力で戦っても勝つことは叶わないでしょう。

しかし、賎しき臣下であるこの私を頼りに、この家に来られた王を、死んでも離すことはできませぬ。」

そして、再び武装して、家の中に戻って、大いに戦いました。

激戦の末、力を尽くし、矢も尽きたので、大臣は目弱王に

「私めは、両手とも傷つき、矢も尽き、もはや戦うことはできません。いかが致しましょうか」

と訊ねると、王子(みこ)が

「そうか。ならば、これ以上できることはないな。私を殺すがよい。」

とおっしゃられたので、王子を刺し殺し、自分も首を切って果てました。

原文

爾大長谷王子、當時童男、卽聞此事、以慷愾忿怒、乃到其兄黒日子王之許曰「人取天皇、爲那何。」然、其黒日子王、不驚而有怠緩之心。於是、大長谷王詈其兄言「一爲天皇、一爲兄弟、何無恃心。聞殺其兄、不驚而怠乎。」卽握其衿控出、拔刀打殺。亦到其兄白日子王而、告狀如前、緩亦如黒日子王。卽握其衿以引率來、到小治田、掘穴而隨立埋者、至埋腰時、兩目走拔而死。

亦興軍、圍都夫良意美之家、爾興軍待戰、射出之矢、如葦來散。於是、大長谷王、以矛爲杖、臨其內詔「我所相言之孃子者、若有此家乎。」爾都夫良意美、聞此詔命、自參出、解所佩兵而、八度拜白者「先日所問賜之女子・訶良比賣者侍、亦副五處之屯宅以獻。所謂五村屯宅者、今葛城之五村苑人也。然、其正身、所以不參向者、自往古至今時、聞臣連隱於王宮、未聞王子隱於臣家。是以思、賤奴・意富美者、雖竭力戰、更無可勝。然、恃己入坐于隨家之王子者、死而不棄。」

如此白而、亦取其兵、還入以戰。爾力窮矢盡、白其王子「僕者手悉傷、矢亦盡、今不得戰。如何。」其王子答詔「然者更無可爲。今殺吾。」故以刀刺殺其王子、乃切己頸以死也。

簡単な解説

大長谷王子(おほはつせのみこ)

大長谷王は、この後21代雄略天皇として即位します。

この逸話から、童男(おぐな)時代の大長谷王は狂暴であったことが伺えます。かの倭建命も童男(おぐな)の時代に、兄の手足をもぎ取って薦に巻いて捨てました。

少年は、狂暴なのです。

少年時代、我々も少なからず狂暴だったのかもしれません。さすがに人に対して危害を加えたことはなかったですが、カエルや虫や魚などの小動物を虐待して遊んだ記憶がありますから。

でも、大長谷王は成長しても狂暴だったようです。それは、雄略天皇の段で、、、

黒日子王、白日子王

古事記では、兄が殺されたことに無関心だったことで、大長谷王に殺されましたが、

日本書紀では、大長谷王が一方的に「天皇殺しの共犯者」と決めつけて殺したと描かれています。

つまり、大長谷王は天皇暗殺の混乱に乗じて、自らが皇位に就くために皇位継承権を持つ兄達を迅速かつ的確に殺害したのです。

小治田(をはりだ)

小治田は後年において、推古天皇が都とした小墾田宮(おはりだのみや)が造営された、明日香村大字雷にある雷丘あたりかと。

甘樫丘の少し北になります。

都夫良意美の家

近年の調査によって、都夫良意美=葛城円の官邸跡ではないかとされる遺跡が発掘されました。

奈良県御所市大字南郷にある「極楽寺ヒビキ遺跡」です。

小高い丘のてっぺんに不自然に広がる棚田の下に、環濠を持つ大きな邸宅跡が発見されたそうで、全面焼け跡が残っていたそうですよ。

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