古事記|20代安康天皇③|市辺忍歯王の悲劇

2020年11月30日

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市邊之忍齒王の暗殺

現代語

その後のこと。淡海国の佐佐紀山君(ささきのやまのきみ)の祖の韓帒(からふくろ)が、

「淡海の久多綿の蚊屋野(くたわたのかやの)には鹿がたくさんいます。鹿の立つ足は荻原(すすきはら)のように細くスッとしていて、振り上げた角はまるで枯木のようでございます。」

と申し上げました。

大長谷王子は市邊之忍齒王(いちのへのおしはのみこ )を連れて淡海国にお出ましになり、その野に着くと別々に仮宮を作って宿泊しました。

翌日、忍齒王は、まだ日が上がる前に気安く馬に乗ってこられ、大長谷王の仮宮の傍まで来て立って、大長谷王子の従者に、

「なんだ、大長谷王はまだ寝ているのか。夜は明けたから早く狩に出かけるように言え。」

と言って、馬で行かれました。

大長谷王の従者は、

「とんでもない物言いをする御子ですから、お気を付けくださいませ。そしてくれぐれも、御身を守ってくださいませ。」

と大長谷王子に申し上げた。

そこで、大長谷王子は衣の下に鎧を着け、弓矢を持って馬に乗って出かけられ、あっというまに忍齒王に追いつくやいなや矢を抜いて忍齒王を射殺しました。

そしてすぐに、遺体を切り刻んで飼い葉桶に放り込み、土とともに埋めてしまいました。

 

市邊王の王子の意祁王(おけのみこ)・袁祁王(をけのみこ)の2人は、この乱のことを聞き、逃げ去りました。

山代国の苅羽井(かりはゐ)まで逃げてこられ、食事をしているとき、顔に刺青をした老人が食べ物を奪い取りました。

2人の王(みこ)が

「食べ物はくれてやるが、いったいお前は何者だ!」

と言うと、その老人は、

「山代の猪甘(ゐかひ)だ。」

と答えました。

2人は玖須婆(くすば)の河を渡って、針間国(はりまのくに)に至り、その国の人、名前を志自牟(しじむ)という人の家に身を隠して、馬飼い、牛飼いとして仕えられました。

原文

自茲以後、淡海之佐佐紀山君之祖、名韓帒白「淡海之久多此二字以音綿之蚊屋野、多在猪鹿。其立足者、如荻原、指擧角者、如枯樹。」此時、相率市邊之忍齒王、幸行淡海、到其野者、各異作假宮而宿。爾明旦、未日出之時、忍齒王、以平心隨乘御馬、到立大長谷王假宮之傍而、詔其大長谷王子之御伴人「未寤坐。早可白也、夜既曙訖、可幸獦庭。」乃進馬出行。爾侍其大長谷王之御所人等白「宇多弖物云王子。宇多弖三字以音。故、應愼、亦宜堅御身。」卽衣中服甲、取佩弓矢、乘馬出行、倐忽之間、自馬往雙、拔矢射落其忍齒王、乃亦切其身、入於馬樎、與土等埋。

於是、市邊王之王子等、意祁王・袁祁王二柱聞此亂而逃去。故到山代苅羽井、食御粮之時、面黥老人來、奪其粮。爾其二王言「不惜粮。然汝者誰人。」答曰「我者山代之猪甘也。」故逃渡玖須婆之河、至針間國、入其國人・名志自牟之家、隱身、伇於馬甘牛甘也。

簡単な解説

いやもう、恐ろしい人ですね。こんな人の下で働きたくないです。。。

市邊之忍齒王

市邊之忍齒王は、17代履中天皇の御子です。20代安康天皇の御子である大長谷王とは対等な関係だったのでしょう。

少なくとも市邊之忍齒王の方は、そう思っていたのでしょう。だから、タメ口で気軽に声を掛けた。

しかし、大長谷王の方は違いました。というのも、安康天皇が生前に、世継ぎを市邊之忍齒王にしようとしていたらしく、その恨みがあったのです。

さらに、この市邊之忍齒王の母親というのが、葛城氏出身の黒比売だったというのも一因かもしれません。

このように、大長谷王は皇位継承資格を持つ人々を次々と殺していったのです。

ちなみに、播磨風土記に「市辺天皇」という記述があるようです。もしかしたら天皇に即位していたのかもしれませんね。となれば、天皇殺しをしたことになります。恐ろしや。

久多綿の蚊屋野

久田錦の蚊屋野とは?どこ?現在、蚊屋野という地名は残っていませんが、「蚊屋の森」「蚊屋野橋」にその痕跡を見ることができます。

ですから、蒲生郡日野町鎌掛のあたりが久田錦の蚊屋野なのでしょう。

苅羽井(かりはい)

苅羽井は、月読尊を祀る樺井月神社にその名が残っているようです。はりはい→かばい。無いことな無いですね。

かつては式内大社として大規模な神地を有していたらしいのですが、木津川の度重なる洪水を避けて、対岸の京都府城陽市の木津川の畔にある水主神社に遷座したらしいです。

旧社地の前が木津川の「樺井の渡し」だったそうで、そういう意味では、川を渡り切ったところで食事をとったというのは、至極自然ですね。

顔に刺青をした老人

ここで、顔に刺青をした老人率いる盗賊に襲われるわけですが、この一節だけが妙に浮いていると感じるのは私だけでしょうか。

何かの伏線なのでしょうか。続きを待ちましょう。

玖須婆(くすば)の河

崇神天皇の段にも登場した玖須婆の渡し。今の枚方市樟葉だとされています。

玖須婆(くすば)の語源は、、、チコちゃん風に言うと、、、

「逃げ惑う敗戦軍の兵士たちが、恐怖のあまりに漏らした糞が袴に付いたから~。」

糞袴「くそばかま」が「くすば」となったらしいです。

なんとも、、、な地名ですね。

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