黄泉の国から逃げる

これを見た伊邪那岐命は、怖くなり逃げ帰ろうとしました。
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私に恥をかかせたな!
伊邪那美命は、黄泉醜女(ヨモツシコメ)を遣わして追いかけさせました。
伊邪那岐命は、追ってくる黄泉醜女に向かって黒い鬘(かづら)を取って投げ捨てました。すると、山葡萄の実が生りました。
これを黄泉醜女がとって食べている間に逃げました。
なお追いかけて来ます。
今度は、右の角髪(みづら)の湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の歯を折って投げ捨てました。すると、筍が生えました。
これを黄泉醜女が抜いて食べている間に、また逃げました。
次に伊邪那美命は、あの八柱の雷神に千五百の黄泉の軍を付けて、追いかけさせました。
伊邪那岐命は佩いていた天十拳剣を抜いて後ろ手で振り払いながら逃げましたが、黄泉の軍はなおも追ってきます。
ようやく、黄泉比良(よもつひらさか)の坂本まで逃げ帰って来たときに、そこに実っていた桃の実を三つ取って、投げつけました。
すると黄泉の軍は、ことごとく消え去りました。
ここでようやく一息ついた伊邪那岐命は、桃の実に言いました。
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いま私を助けたように、葦原中國(あしはらなかつくに)にいる人間たちが苦難に遭い、苦しんでいる時は、助けてやってくれ。
そして名を与えました。その名はは意富加牟豆美命(オホカムツミのみこと)といいます。
お別れ


しかし、まだ終わってはいませんでした。
遂に伊邪那美命自身が追いかけて来たではありませんか。
そこで、伊邪那岐命が千引石(大きな岩)で黄泉比良坂を塞ぎ、千引石を間に挟んで向かい合って立ち、伊邪那岐命が離別の言葉を言いました。
すると、伊邪那美命が呪うように言いました。
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愛しい我が夫がそのようなことを言うのであれば、私はあなたの国の人々を一日に千人殺してしまいます
伊邪那岐命が言い返しました。
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愛しい我が妻がそのようにするのなら、私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建ててみせる
このようなことから、今の世も一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百の子が生まれるのです。
伊邪那美命を黄泉津大神(ヨモツ大神)ともいうようになりましたし、伊邪那岐命に追いついたので道敷大神(チシキの大神)と名付けられたともいわれています。
また、黄泉の坂を塞いだ石を道反之大神(チガエシの大神)と名付け、または、塞坐黄泉戸大神(サヤリイマス ヨミドの大神)ともいいます。
ちなみに、この黄泉比良坂とは、今の出雲國の伊賦夜坂(いふやさか)のことです。
ひとことメモ
黄泉醜女(ヨモツシコメ)
黄泉の国にいる女の鬼です。
醜という字は「霊力が強い」という意味が第一義で、でも、霊力が強い者は醜いことが多いというような感覚でとらえておくとといいと思います。
恐ろしく怖い顔をしていて、一飛びで千里も走ると言われています。1歩が4,000kmとは。。。
山葡萄と筍
なぜこの2種の植物が生えたのでしょうか。葦などもそうですが、いずれも自生する植物で、かつ人間の生活に欠かせない植物だからだと思います。
それはもちろん、食べることが出来る植物だということもありますし、山葡萄の蔓は編むことで様々な生活用品に生まれ変わります。筍の皮や竹そのものも同様です。
天十握剣を後ろ手に振り回す
これは、邪悪なものを斬らずして追い祓うという「辟邪の剣」の使い方なのです。
「辟邪」とは中国の神獣で、邪悪なものを避ける習性があったとか。だから「辟邪」。
天十握剣を「辟邪の剣」として使おうと試みたということでしょう。
意富加牟豆美命
このように、桃は邪気を祓う力を持つ「神の果実」として紹介されました。
「意富加牟豆美命」(おお かむ づ み のみこと)とは、「大(おお)神(かむ)つ 実(み)の命」=「大いなる神の実」という意味の名が与えられたのです。
全国の神社で、桃をモチーフにした可愛いお守りが頂けるのも、このお蔭げですね。
黄泉比良坂
今は出雲國の伊賦夜坂(いふやさか)といいます。と記されていますが、その今とは奈良時代ですから、現代ではどこを指すのでしょうか。
米子市と松江市のちょうど中間あたりの東出雲町揖屋がその伝承地となっているようです。「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」の石碑が立てられています。
そこが、あの世とこの世の境目ということになりましょう。
黄泉大神
黄泉の国の大神。死者の国の大いなる神様です。大いなる神様ということは、黄泉の国におられる神様の中で、これ以上ない力を持つ神様ということですから、伊邪那美こそが人間の死を司っている神なのでしょう。
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