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武烈天皇の宮・后妃皇子女・御陵
現代語
小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと)は、長谷之列木宮(はつせのなみきのみや)に都を置いて、天下を治めました。在位期間は八年です。
天皇には太子がなかったので、御子代(みこしろ)として小長谷部(をはつせべ)を定められました。
御陵は片岡之石坏岡(かたをかのいはつきのをか)にあります。
原文
小長谷若雀命 坐長谷之列木宮 治天下捌歲也 此天皇 无太子 故 爲御子代 定小長谷部也 御陵在片岡之石坏岡也
簡単な説明
古事記は、上のような簡単な紹介だけですが、日本書記の武烈天皇は、サドの極致のような振舞いで、極悪非道な天皇であったことが描かれています。
本当なのか、そんな天皇は実在するのか、といった議論が行われているようですよ。
長谷之列木宮(はつせのなみきのみや)
奈良県桜井市大字出雲にある「十二柱神社」あたりが、その伝承地として伝わっています。
片岡之石坏岡(かたをかのいはつきのをか)
奈良県香芝市今泉にある「傍丘磐坏丘北陵」が武烈天皇陵に治定されています。
小長谷若雀命の名前
「小長谷若雀命」が武烈天皇の名前なのですが、これを分解すると、、、
小長谷と若雀。
小長谷は大長谷と対になっています。大長谷は、雄略天皇のことを指します。
若雀は大雀と対になっています。大雀とは、仁徳天皇のことを指します。
聖帝「仁徳天皇」に始まる王朝が、悪徳天皇「雄略」を経て、極悪天皇「武烈」で終わる。といったストーリーを名前に込めたように思えてきます。
となれば、創作された天皇なのかもしれませんね。
次の継体天皇へのつなぎとして、、、
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