22代清寧・23代顕宗・24代仁賢・25代武烈天皇– category –
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古事記|22代清寧天皇①|意祁命と袁祁命の兄弟を発見!
【清寧天皇の宮・后妃皇子女】 現代語 雄略天皇の御子の白髮大倭根子命(しらかのおほやまとねこのみこと)は、伊波禮之甕栗宮(いはれのみかくりのみや)を都として、天下を治められました。 天皇には皇后も御子もいらっしゃいませんでした。その為、御名... -
古事記|22代清寧天皇②|平群志毘との歌垣
【志毘臣との歌垣】 現代語 天皇が、まだ天下をお治めになる前のこと。 平群臣(へぐりのおみ)の祖の志毘臣(しびのおみ)が、歌垣の時に、袁祁命(をけのみこと)が娶ろうとした乙女の手を先に取りました。 その乙女は菟田首(うだのおびと)らの娘の大... -
古事記|23代顕宗天皇①|父の遺骨を探す
【顕宗天皇の宮・后妃皇子女】 現代語 履中天皇(いざほわけのみこ)の御子の市邊忍齒王(いちのへのおしはのみこ)の御子である袁祁之石巢別命(をけのいはすわけのみこと)が、近飛鳥宮(ちかつあすかのみや)に都を定めて天下を治められたのは8年間で... -
古事記|23代顕宗天皇②|父の仇に報いる
【猪甘老人】 現代語 以前に天皇が困難にあって逃げている時に食べ物を奪った、あの猪甘の老人を探しました。 探し当て、都に召喚し、飛鳥河(あすかがは)の河原で斬り、その一族の者の膝の筋を断ち切りました。 これより今に至るまで、この子孫が大和に... -
古事記|24代仁賢天皇
【仁賢天皇の宮・后妃皇子女】 現代語 袁祁王(をけのみこ:顕宗天皇)の兄である意祁命(おけのみこと)は、石上廣高宮(いそのかみのひろたかのみや)を皇居として、天下を治められました。 天皇が大長谷若建天皇(おほはつせのわかたけのすめらみこと、...
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