11代垂仁天皇– category –
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古事記|11代垂仁天皇①|都と后妃と皇子女
【垂仁天皇の宮と后妃皇子女】 現代語 垂仁天皇(伊久米伊理毘古伊佐知命:イクメイリビコイサチの命)は師木玉垣宮(しきのたまがきのみや)に都を定めて、天下を治められました。 天皇が沙本毘古命(サホビコの命)の妹の佐波遲比賣命(サハヂヒメの命)... -
古事記|11代垂仁天皇②|皇子たちの事績と系譜
【印色入日子命の事績】 現代語 12代景行天皇の同母兄の印色入日子命は、血沼池(ちぬのいけ)・狹山池(さやまのいけ)・日下之高津池(くさかのたかつのいけ)を造営して農作物の収穫力を強化しました。 また、印色入日子命は、鳥取之河上宮(ととりのか... -
古事記|11代垂仁天皇③|沙本毘古王の謀反
【沙本毘古王の陰謀】 垂仁天皇が沙本毘賣(サホビメ)を皇后とされていた時のことです。 沙本毘賣命の兄の沙本毘古王(サホビコの皇子)が、妹である皇后に尋ねたました。 「お前は、夫の天皇と実の兄である私と、どちらが大事だ?」 「お兄様です。。。... -
古事記|11代垂仁天皇④|皇后の最期
【皇后奪還作戦】 現代語 そこで、屈強で機敏な兵士を選んで、お命じになられました。 「御子を受け取るときに、その母も連れて来い!髪でも手でもどこでもよいから掴んで、連れ出すのだ!」 一方、皇后は、天皇の考えを予測していました。 髮をそり落とし... -
古事記|11代垂仁天皇⑤|本牟智和氣御子(ほむちわけのみこ)
【本牟智和氣御子】 原文 本牟智和氣御子(ホムチワケの皇子)は、そのような、恐ろしい中で生を受けた可哀そうな子です。 だからこそ垂仁天皇は、よく遊んでやりました。 たとえば、尾張之相津(をはりのあひず)にあった二俣の杉で、二俣の船を作って、... -
古事記|11代垂仁天皇⑥|話せるようになった本牟智和氣命の奇跡
【本牟智和氣命の奇跡】 現代語 本牟智和氣御子一行は、出雲に着き、出雲の大神を参拝しました。 お帰りになられる時、肥河(ひのかわ)に黒い橋を掛けて仮の宮を作り、お留まりになりました。 出雲國造の祖の岐比佐都美(キヒサツミ)が、青葉で青葉山を... -
古事記|11代垂仁天皇⑦|天皇の再婚と田道間守
【丹波の四女王】 現代語 天皇は、先の皇后(沙本毘賣)が推挙したとおりに、丹波の美知能宇斯王(ミチノウシの皇子)の娘たちを召し出させました。 先の皇后は比婆須比賣命(ヒバスヒメの命)・弟比賣命(オトヒメの命)の二人の名を挙げていましたが、歌...
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