第14代仲哀天皇– category –
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日本書紀|第十四代 仲哀天皇①|皇后・妃と皇子たち
足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと) 第十四代 仲哀(ちゅうあい)天皇 【】 足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと:仲哀天皇)は日本武尊の第二子で、母の皇后は垂仁天皇の娘で両道入姫命(ふたぢのいりびめのみこと)とおっし... -
日本書紀|第十四代 仲哀天皇②|穴門豊浦宮
【熊襲征伐のため九州へ向かう】 仲哀2年 癸酉(みずのとのとり) 193 三月十五日 南国(みなみのくに)を巡幸されました。この時には、皇后と多くの官僚を留め置いて、二~三人の卿大夫(まへつきみたち)と官人数百人だけで軽くお出かけになられ... -
日本書紀|第十四代 仲哀天皇③|岡縣の熊鰐の協力で筑紫国入り
【筑紫の熊鰐】 仲哀8年 己卯(つちのとのう) 199年 正月四日 天皇は筑紫(つくし)に行幸されました。 岡縣主(おかのあがたぬし)の祖の熊鰐(わに)は天皇がいらっしゃると聞いて、あらかじめ五百枝(いほえ)の賢木(榊)を九尋の船の舳に立て... -
日本書紀|第十四代 仲哀天皇④|橿日宮の造営・神功皇后の神懸り
【筑紫の伊都国】 筑紫(つくし)の伊覩縣主(いとのあがたぬし)の祖の五十迹手(いとて)は、天皇がお越しになると聞いて、五百枝の賢木を抜き取り、船の舳と艫に立てて、上の枝には八尺瓊を掛け、中の枝には白銅鏡を掛け、下の枝には十握剣を掛け、穴門... -
第十四代 仲哀天皇⑤|崩御と无火殯斂(ほなしあがり)
【天皇崩御と密葬】 仲哀9年 (200年) 二月五日 天皇が急に御病気になられ、翌日に崩御されました。享年52歳でした。神のお言葉を信じなかったために、こんなにもすぐに亡くなったということが判りました。 ある話では、天皇は熊襲との戦いで賊の...
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