第21代雄略天皇– category –
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日本書紀|第二十一代 雄略天皇①|安康天皇が、后の連れ子に殺された!
大泊瀬幼武天皇 -おほはつせのわかたけのすめらみこと- 第二十一代 雄略天皇 -ゆうりゃくてんのう- 【雄略天皇のひととなり】 大泊瀬幼武天皇(允恭天皇)の第五子である。 天皇がお生まれになったとき、神々しい光が産屋に満ち溢れました。... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇②|兄達を殺したついでに葛城氏を滅ぼした
【】 その日のうちに、大舍人姓字は不明が早馬を飛ばして、雄略天皇に、 「安康天皇、眉輪王に殺されました!」 と報告しました。 雄略天皇は大変驚かれ、まずは兄たちを疑い、甲はその姿を見て身の危険を感じて怖くなり、黙って座っておられたので、天皇... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇③|市辺押磐皇子・御馬皇子も。政敵一掃作戦の総仕上げ
【を狩りに誘って騙し討ち】 十月一日 雄略天皇は、安康天皇がかつて市辺押磐皇子に使いを出されて、 「 近江が 『 近江の来田綿(滋賀県蒲生郡日野町)には猪や鹿がたくさんいます。その頭の角は枯れ木の枝のようで、その揃った足は細い木のようで、吐き... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇④|泊瀬朝倉の宮、皇子女の紹介
【雄略天皇の即位】 安康3年 丙申 456 十一月十三日 天皇は、役人に命じて、泊瀬としました。 原 文 十一月壬子朔甲子 天皇 命有司設壇於泊瀬朝倉 卽天皇位 遂定宮焉 以平群臣眞鳥爲大臣 以大伴連室屋・物部連目爲大連 ひとことメモ 泊瀬... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑤|一夜で身籠った童女君。池津媛と石川盾の恋
【】 童女君でした。天皇と唯一夜を共にしただけで妊娠して、女子が生まれました。ですので、天皇は疑われて養育されませんでした。 その子が歩けるようになりました。天皇が御大殿に出て、物部目大連が天皇の傍に控えていたとき、その少女が庭を通りすぎ... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑥|狩場の食事で大激怒。宍戸部の設置。
【吉野御馬瀬での狩りで激怒】 十月三日 吉野宮に御幸されました。 同月六日 御馬瀬にお出ましになり、役人に命じて、思う存分狩りをされました。重なる峯を越え、広大な野を駆け巡り、まだ日も傾かない間に、7・8割の獲物をしとめ、獲るごとに大きな獲... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑦|斎宮「栲幡皇女」の妊娠疑惑浮上!
【天皇の御気に入りは二人だけ】 この月、史戸を置かれました。 天皇は誰に相談することもなく自分の心のままに、間違って人を殺すことが多かったので、世の人は、「大悪の天皇だ」と誹謗しました。 唯一、可愛がられた臣下は、史部らだけでした。 原 文... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑧|葛城山の一言主神と狩りを楽しむ
【葛城山の一言主神】 雄略4年 庚子 460 二月 葛城山で射狩りをされました。突然、背の高い人が現れ、谷を隔てて向かい合いました。その顔や姿は、天皇によく似ていました。 天皇は、神に違いないと思われましたが、あえて、 「どちらの公でしょう... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑨|蜻蛉野(あきつの)の由来
【】 八月十八日 吉野宮に御幸されました。 同月二十日 河上小野が飛んできて、その虻をくわえて飛び去りました。 天皇は、心のある蜻蛉であると、大変喜ばれ、群臣に 「朕のために、蜻蛉を讃える歌を詠め」 と仰せられたが、敢えて詠むものがいなかった... -
日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑩|命拾いした舎人 / 百済の軍君が来朝
【猪と舎人】 雄略5年 辛丑 461 二月 葛城山で狩りをされていたとき、霊鳥が突然飛んできました。霊鳥は雀ほどの大きさで、尾は長がく地に引きずり、「ゆめ、ゆめ」と鳴きました。 突然に、草むらから興奮した猪が飛び出してきて、人を追いかけてき...