18代反正天皇|

2019年11月13日

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反正天皇の宮・后妃皇子女

現代語

履中天皇の弟の水齒別命(みづはわけのみこと)は多治比之柴垣宮(たぢひのしばかきのみやに都を定めて、天下を治めました。

天皇の身長は九尺二寸半(3m50cm)で、齒の長さは一寸(3cm)で幅は二分(8mm)で、上下の歯は珠を並べたようにきれいに並んでいました。

天皇が丸邇之許碁登臣(わにのこごとのおみ)の娘の都怒郎女(つののいらつめ)を娶って生まれた御子は、

  • 甲斐郎女(かひのいらつめ)
  • 都夫良郎女(つぶらの)

の二柱でした。

同じく丸邇之許碁登臣の娘の弟比賣(おとひめ)を娶って生まれた御子は、

  • 財王(たからのみこ )
  • 多訶辨郎女(たかべのいらつめ)

で、全部で4人でした。

天皇は丁丑年の七月に60歳でお亡くなりになり、御陵は毛受野(もずの)にあります。

原文

弟、水齒別命、坐多治比之柴垣宮、治天下也。此天皇、御身之長、九尺二寸半。御齒長一寸廣二分、上下等齊、既如貫珠。天皇、娶丸邇之許碁登臣之女・都怒郎女、生御子、甲斐郎女、次都夫良郎女。二柱。又娶同臣之女・弟比賣、生御子、財王、次多訶辨郎女。幷四王也。天皇之御年、陸拾歲。丁丑年七月崩。御陵在毛受野也。

簡単な解説

履中天皇は恩返しの意味でしょうか、即位の時に自分の子ではなく弟の水齒別命を皇太子としました。即位の6年後、履中天皇が崩御したため、反正天皇が即位しました。

反正天皇の即位期間も短くて5年。皇太子を指定していなかったので、臣下による相談の結果、弟の男浅津間若子宿禰王が跡を継ぐこととなります。

柴籬宮

松原市上田の柴籬神社が、その跡地であるとされています。近鉄南大阪線の河内松原から徒歩で15分ぐらいでしょうか。

毛受野の御陵

百舌鳥古墳群の中にある「百舌鳥耳原北陵」が、反正天皇の御陵に治定されています。

仁徳天皇陵から北へ1.2km。方違神社のすぐ南で、最寄り駅は南海高野線の堺東駅です。

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