19代允恭天皇①|氏姓を正す

2019年11月13日

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允恭天皇の宮・后妃皇子女

現代語

18代反正天皇の弟の男淺津間若子宿禰命(をあさづまわくごのすくねのみこと)は遠飛鳥宮(とほつあすかのみや)に都を定めて、天下を治めました。

天皇が意富本杼王(おほほどのみこ)の妹の忍坂之大中津比賣命(おしさかのおほなかつひめのみこと )を娶って生まれた御子は、

  • 木梨之輕王(きなしのかるのみこ )
  • 長田大郎女(ながたのおほいらつめ)
  • 境之黑日子王(さかひのくろひこのみこ)
  • 穴穗命(あなほのみこと)
  • 輕大郎女(かるおおいらつめ)
  • 八瓜之白日子王(やつりのしろひこのみこ)
  • 大長谷命(おほはつせのみこと)
  • 橘大郎女(たちばなのおほいらつめ)
  • 酒見郎女(さかみのいらつめ)

の男5人、女4人の9人でした。

この9王のうち、穴穗命が次の天下を治められ、さらに次の天下を大長谷命が治めました。

ちなみに、輕大郎女(かるのおほいらつめ)の亦の名を「衣通郎女」(そとほりのいらつめ )というのですが、なぜ衣通王というかというと、体から出る光が衣服を通して外に出るほどに美しかったからです。

原文

弟、男淺津間若子宿禰命、坐遠飛鳥宮、治天下也。此天皇、娶意富本杼王之妹・忍坂之大中津比賣命、生御子、木梨之輕王、次長田大郎女、次境之黑日子王、次穴穗命、次輕大郎女・亦名衣通郎女御名所以負衣通王者、其身之光自衣通出也、次八瓜之白日子王、次大長谷命、次橘大郎女、次酒見郎女。九柱。凡天皇之御子等、九柱。男王五、女王四。此九王之中、穴穗命者治天下也、次大長谷命治天下也。

簡単な解説

遠飛鳥宮

奈良県の明日香村地方にあったとされる遠飛鳥宮。その場所は特定されていません。

その後、多くの天皇が飛鳥の地に都をおきますが、允恭天皇が、飛鳥に都をおいた最初の天皇であったということになりますね。

木梨之軽王、穴穂王、軽大郎女

この3人の御子たちは、次の記事で登場します。覚えておいてくださいませ。

 

 

天皇の病

現代語

はじめのうち、天皇は皇位につくことを辞退されました。

辞退の理由として、「私は長く患っているので、皇位を継ぐことはできない」とおっしゃっれていたのです。

しかし、大后(おほきさき)をはじめ群臣らが、即位されることを強く求めたため、最後には即位を承知されました。

即位の式にあたって、新良國主(しらぎのこきし)が八十一艘の豪華な船を奉納しました。

この奉納式の大使は、名を金波鎭漢紀武(こむ は ちむ かむ き む)といい、薬学に精通していたので、漢方薬を処方して天皇の病気を治して差し上げました。

原文

天皇初爲將所知天津日繼之時、天皇辭而詔之「我者有一長病、不得所知日繼。」然、大后始而諸卿等、因堅奏而乃治天下。此時、新良國主、貢進御調八十一艘。爾御調之大使・名云金波鎭漢紀武、此人深知藥方、故治差帝皇之御病。

簡単な説明

大后による強い求め

仁徳天皇の皇后「石長比売命」は、とんでもないヤキモチ焼きとして描かれていました。それは本当のヤキモチ焼きなどではなく、葛城氏出身の皇后による、和爾氏の女を宮中に入れないための諸々の活動を、ヤキモチ焼き逸話として記述したものであると、私は認識しています。

それはおいといて、、、

今回、允恭天皇の即位を強く望んだ大后とは、誰をさすのでしょう。この時点では允恭天皇は天皇ではないですから、大后とは先代の反正天皇の皇后となりますが、実は反正天皇は皇后を持ちませんでした。

となれば、履中天皇の皇后となるのでしょうか。それとも太后(石長比売命)?

いずれにしても、バリバリの葛城氏の女です。

一方、正式な皇后を持たなかったとはいえ、反正天皇には高部皇子という男子がいます。その母が和爾氏の弟姫。

ここでも葛城の女による和爾氏排除の策が講じられたと見るのは、私だけでしょうか。。。

 

氏姓を正す

現代語

天皇は、氏姓(うじかばね)が偽って使われることを憂い、甘樫丘の言八十禍津日前(ことやそまがつひのさき)玖訶瓮(くかへ)を置いて、八十友緖(多くの部族長)の氏姓を定めました。

木梨之輕太子の御名代(みなしろ)として輕部を定め、大后の御名代として刑部(おさかべ)を定め、大后の妹の田井中比賣(たゐのなかつひめ)の御名代として河部(かはべ)を定められました。

原文

於是天皇 愁天下氏氏名名人等之氏姓忤過而 於味白檮之言八十禍津日前 居玖訶瓮而玖訶二字以音 定賜天下之八十友緖氏姓也 又爲木梨之輕太子御名代 定輕部 爲大后御名代 定刑部 爲大后之弟 田井中比賣御名代 定河部也

簡単な解説

甘樫丘の言八十禍津日前に玖訶瓮を置く

飛鳥と橿原を分ける丘陵地帯を「甘樫の丘」といいます。この丘に「言葉」の嘘を見抜いて罰を与える神「八十禍津日神」招いて、その「神前」「玖訶瓮」(くかへ)と呼ばれる釜を置くということです。

いったいなんでしょう。なんだか、恐ろし気な雰囲気が漂ってきますね。

玖訶瓮

何が恐ろしいかというと、、、

ここで「盟神探湯(クカタチ)」という占いというか裁判が行われたようです。

この玖訶瓮にお湯を沸かし、そこに手を突っ込んで火傷したら「嘘」、火傷しなかったら「正しい」という裁判です。

これでもって、使っている氏姓が正しいかどうか判別したわけですが、火傷するに決まってますよね。

いったい何がしたかったのでしょうか。想像するに、、、

ここでも、葛城氏以外の有力な豪族を排除しようとしただと思います。

  • 葛城氏以外の部族を読んできて煮えたぎる釜に手を入れさせる、、、
  • 火傷をさせる、、、
  • お前は嘘の氏姓を使っている!この痴れ者め!と怒鳴る、、、
  • 失脚させる、、、

だとしたら、かなり強引なやり方ですね。近い将来、きっとしっぺ返しがくるでしょう。

 

御陵

現代語

天皇は甲午年(きのえのうまのとし)正月十五日、78歳でお亡くなりになり、御陵は河内之惠賀長枝(かふちのゑがのながえ)にあります。

原文

天皇御年、漆拾捌歲。甲午年正月十五日崩。御陵在河內之惠賀長枝也。

簡単な解説

河内之惠賀長枝の御陵

大阪府藤井寺市国分にある「市ノ山古墳」が、允恭天皇の御陵に治定されています。

最寄り駅は近鉄南大阪線の土師ノ里駅です。

16代仁徳、17代履中、18代反正の各天皇の御陵が百舌鳥古墳群にあるのに対して、14代仲哀、15代応神、19代允恭、20代雄略の各天皇の御陵は古市古墳群にあります。

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