序文②|天武天皇ー古事記編纂の主旨ー

2019年8月17日

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天武天皇の即位

現代語

さて、飛鳥の清原の大宮において大八嶋洲を治めた天武天皇の御代になりました。

天皇は、はやくから皇太子としての地位に昇るに相応しい徳を示しておられましたが、それには時がまだ熟していませんでした。

先帝が病床につき明日をも知れぬご様子になったとき、天武天皇は夢で「いかづちしきりにして、ときにおうずる」という詩をお聞きになり、「今こそ動くべし」という神意であると理解しました。ですが、簡単なことではないこともわかっておいででした。

そこで、政敵を欺くために一旦吉野山へお入りになり出家し、年少の頃に過ごした尾張を中心に各方面へ指令を出しました。

それに呼応して多くの人が集まってきたので、いよいよ伊勢の国や尾張の国に軍を集結させ、準備が整いました。

天皇自ら山を越え川を渡ります。将軍たちは雷の如く奮い立ち、皇軍は稲妻の如く進軍しました。

日を追うごとに武器は威力を増し、勇猛果敢な兵は益々その勢力を増やし、御旗の赤旗が兵士を輝かせます。敵軍は日を追うごとに少なくなり、瓦が砕けるが如く敗れていきました。

このようなことですから、十二日も立たないうちに世間はしずまったのです。

天皇は、軍に使った牛を田に戻し、馬を休ませて、なごやかな心になって大和の国に戻り、旗を巻き武器を納めて、歌い踊って都にとどまりました。

そしてついに、酉の年の二月に、清原の大宮において天皇に即位されたのです。

その政治手腕は黄帝以上であり、徳は周の文王よりも優っていました。

天皇は、神器を持って天下を統一され、正しい系統を得て国の隅々まで治められました。

陰と陽の二つの気性は正しく作用し、五行はその順序を正しく整え、正しい道理を実践させることで正しい風俗を教え、優れた道徳を国中に広めることで、国家を大きく強くしました。

また、知識は海のように広く、深く古代のことを学び、心は鏡のように輝いて、過去の世のことを見極めておられました。

原文

曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、未移浹辰、氣沴自淸。乃、放牛息馬、愷悌歸於華夏、卷旌戢戈、儛詠停於都邑。歲次大梁、月踵夾鍾、淸原大宮、昇卽天位。道軼軒后、德跨周王、握乾符而摠六合、得天統而包八荒、乘二氣之正、齊五行之序、設神理以奬俗、敷英風以弘國。重加、智海浩汗、潭探上古、心鏡煒煌、明覩先代。

簡単な解説

天武天皇(大海人皇子)が天皇に即位した経過について記されています。武力によって奪い取った様子が生々しく記されています。「壬申の乱」です。

まだ「日本」ではなく「倭国」といっていた「天智天皇」の御代に、百済からの援軍要請を受けて挑戦半島に出兵しました。

しかし「倭国軍」は「白村江の戦い」で唐&新羅の連合軍に完敗し、這う這うの体で逃げ帰りました。

そのため、国内は唐・新羅が侵略してくるのではないか?という緊張感が高まり、天皇は防衛線を張り、近江に遷都するなどの国防策を打ち出しました。

しかし、先の出兵による人的・経済的疲弊が癒えないまま、その荷役を負わされた地方豪族の朝廷への不満は、反乱の一歩手前という状況だったようです。

一方で、天智天皇の弟である大海人皇子(天武天皇)は、一度は次の天下を約束されていたにもかかわらず、その皇太弟の地位を奪われていました。天智天皇が自分の子「大友皇子」を天皇にしたくなったからです。

そんな中、天智天皇が崩御され「大友皇子」が皇位を継承したタイミングで、大海人皇子が反乱を起こしたのです。

少年期を過ごした尾張氏の支援を受け、周辺の美濃、伊勢、三河などから多くの兵を集めて、近江と大和へ進軍し、大友皇子から皇位を奪い取り、即位しました。

古事記編纂の意義

現代語

ここにおいて、天武天皇の仰せられましたことは、

「諸家で持ち伝えている帝紀と本記とが、既に真実と違い多くの偽りを加えられていると聞いている。

今の時代においてその間違いを正さなかったら、幾年も経たぬうちにその本旨が無くなるだろう。

帝紀は国家組織の土台であり、天皇の指導の基本である。ゆえに帝紀を記し定め、本記を調べて後世に伝えようと思う。」

とのことでした。

そのとき、稗田阿礼という舎人がおりました。年は二十八でしたが、人柄が賢く、目で見たものは口で読み伝え、耳で聞いたものはよく記憶しました。

そこで稗田阿礼に仰せ下され、帝紀と本記を読み習わせました。

しかし、時勢が変わって、まだ記し定めることをなさいませんでした。

原文

於是天皇詔之「朕聞、諸家之所賷帝紀及本辭、既違正實、多加虛僞。當今之時不改其失、未經幾年其旨欲滅。斯乃、邦家之經緯、王化之鴻基焉。故惟、撰錄帝紀、討覈舊辭、削僞定實、欲流後葉。」時有舍人、姓稗田、名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。卽、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。然、運移世異、未行其事矣。

簡単な解説

白村江の敗戦で、唐との国力の差をまざまざと見せつけられた天皇は、ゆる~い統治体制の国から、近代的な統治手法とされた律令制の導入を急ぎ、中央集権体制を強化していくことにしました。

倭国から日本への脱皮です。

そのためには、国をまとめ上げる天皇の地位を、ゆるぎないものしなければいけません。

だからこそ、帝紀や諸国に伝わる風土記などを集約し書き換えさせ、皇統の神性を大いに謡い上げる歴史書を作る必要があったのです。

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序文

Posted by リョウ