神武⑥|妻問い説話|伊須気余理比賣との結婚と御子

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妻問い説話

現代語

さてさて、

髙佐士野(たかさじの)を七人の乙女が歩いています。その中に伊須気余理比賣もいるようですよ。

大久米命が伊須気余理比賣を見つけて、歌で神武天皇に申しあげました。

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倭の高佐士野
七人で行く乙女たち、
誰をお召しになりますか

この時、伊須気余理比賣は乙女たちの先頭を歩いていました。

天皇は乙女たちを見て、伊須気余理比賣が先頭にいると気づいて、歌で応えました。

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まそうだな、
先を行く乙女を
選ぼうか

大久米命が天皇の歌を伊須気余理比賣に伝えに行きました。

すると、比賣が大久米命の目尻の入れ墨を見て、不思議に思って詠んだ歌は、

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天の男よ
千鳥目の男よ
どうして割ける目をしているの?

大久米命が答えて詠んだ歌

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麗しいあなたを、
よーく見たいと思って
私の目は割けているのです

それを聞いた乙女は、

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わかりました。お仕え申し上げましょう。

と応えました。

 

伊須気余理比賣命の家は、狹井河(さゐのかわ)の傍にありました。天皇は伊須気余理比賣の家に行き、一夜を過ごしました。

その河を佐韋河(さいのかわ)というのは、その川の辺に山百合(やまゆり)がたくさん生えていので、その山百合の名を取って、佐韋河と名付けられたのです。

山百合の元の名は佐韋(さい)ですから。

その後、伊須気余理比賣が橿原宮に参内した時に、天皇が詠んだ歌は、

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葦原の
汚く荒れた小屋に
すがの畳を
綺麗にしいて
二人で寝たね

 

このようにして二人は結婚し、生まれた御子の名は、

  • 日子八井命(ヒコヤイの命)
  • 神八井耳命(カムヤイミミの命)
  • 神沼河耳命(カムヌナカハミミの命)

の三人です。

原文

於是七媛女、遊行於高佐士野佐士二字以音、伊須氣余理比賣在其中。爾大久米命、見其伊須氣余理比賣而、以歌白於天皇曰、

夜麻登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志摩加牟

爾伊須氣余理比賣者、立其媛女等之前。乃天皇見其媛女等而、御心知伊須氣余理比賣立於最前、以歌答曰、

加都賀都母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯麻加牟

爾大久米命、以天皇之命、詔其伊須氣余理比賣之時、見其大久米命黥利目而、思奇歌曰、

阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米

爾大久米命、答歌曰、

袁登賣爾 多陀爾阿波牟登 和加佐祁流斗米

故、其孃子、白之「仕奉也。」

於是其伊須氣余理比賣命之家、在狹井河之上。天皇幸行其伊須氣余理比賣之許、一宿御寢坐也。其河謂佐韋河由者、於其河邊山由理草多在。故、取其山由理草之名、號佐韋河也。山由理草之本名云佐韋也。後、其伊須氣余理比賣、參入宮內之時、天皇御歌曰、

阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀布多理泥斯

然而阿禮坐之御子名、日子八井命、次神八井耳命、次神沼河耳命、三柱。

簡単な解説

髙佐士野

倭の高佐士野は、どこなのでしょうか。伯耆国の越敷野であるという説が一般的なようです。鳥取まで嫁探しに行ったということでしょうか。

狭井川の畔に住んでいたとも書かれています。

狭井と言えば、三輪に狭井神社があります。また三輪には出雲という地名もあります。

このようなことから、古代の出雲、伯耆と大和には深い関わりがあったのではないかと思われます。

目尻の入れ墨

大久米命は目の周りに入れ墨をしていました。それを奇妙に思ったとのことですから、入れ墨を入れる習慣があった地域となかった地域があるということになります。

当時(編纂当時:飛鳥時代)では、隼人や蝦夷の民族に入れ墨の習慣があったといわれています。

このことから、神武とともに大和入りした大久米命は、隼人の出身だったのだろうと推察できますね。

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