神武④|東征|忍坂の戦い。八十建掃討作戦と天神御子軍の戦歌

2019年9月4日

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忍坂の大室

現代語

宇陀を制圧した神倭伊波禮毘古命は、いよいよ大和へと向かうべく宇陀から下り、忍坂(おさか)にさしかかりました。

そこには、尾のある土雲の大勢の兵士が、大室にたむろしています。

そこで神倭伊波禮毘古命は作戦を考えました。

その作戦とは、大勢の兵士に、一人に一人の給仕係を付け、宴会でもてなすのです。

そして、給仕係には太刀を持たせておいて「歌を聞いたら、一斉に切り殺せ」と命じておきました。

その土雲を打つ合図となった歌は、

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忍坂の大室屋に、
敵が大勢入っている。
たとえ大勢入っていても、
久米部の兵士は瘤太刀や石太刀で
やっつけてしまおうぞ威勢のいい久米の兵士が
瘤太刀や石太刀でもって
今だ、討つがよいぞ

このように歌うと、久米の兵士らは、刀を抜いて、一気に土雲らを撃ち殺しました。

原文

自其地幸行、到忍坂大室之時、生尾土雲訓云具毛八十建、在其室待伊那流。此三字以音。故爾、天神御子之命以、饗賜八十建、於是宛八十建、設八十膳夫、毎人佩刀、誨其膳夫等曰「聞歌之者、一時共斬。」故、明將打其土雲之歌曰、

意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯

如此歌而、拔刀一時打殺也。

簡単な解説

忍坂

宇陀から国道166号線を桜井市方面に進むと、忍坂の大室の伝承地があります。

朝倉台住宅という住宅地の中にあり、当時を偲ぶ面影は一切ありませんが、、、

 

八十建

八十というのは、大勢という意味です。建は武士・兵士という意味でしょう。なので、大勢の兵士と訳しました。

土雲

朝廷や天皇に恭順しなかった土豪を指します。

土蜘蛛と書くことが多いでしょうか。他にも同様の意味で、国栖(くず)、八握脛八束脛(やつかはぎ)、大蜘蛛(おおぐも)などとも表現されます。

記紀などでは、土蜘蛛は身が短く手足が長い、身体的特徴を描写しています。

このあと最終決戦が行われることになる長髄彦(ながすねひこ)も土蜘蛛(恭順しない土豪)ですね。

 

天神御子軍の戦歌

その後、宿敵「ナガスネヒコ」を撃とうとした時の歌は、

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威勢のいい久米の兵士らの
粟の畑には、
臭い韮が一本生えている。
その根のもとに芽をくっつけて、

やっつけてしまおうぞ。

他には、

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威勢のいい久米の兵士らの
垣根に植えたサンショウは、
口がヒリヒリして、
あの恨みは忘れない

さあ、やっつけてしまおうぞ。

他にも、

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神風が吹く
伊勢の海の
大きな石に這いまわる
細螺のように這いまわって

さあ、やっつけてしまおうぞ。

 

また、兄宇迦斯と弟宇迦斯を討ち取った時に、兵士が少し疲れたした。そこで詠われた歌は、

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楯を並べて射る、
伊那佐山
木の間から
ずっと見張り続け、
戦をしたから腹がへった

島の鵜飼の人々よ、

すぐに助けに来てくれないか

原文

然後、將擊登美毘古之時、歌曰、

美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟

又歌曰、

美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟

又歌曰、

加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟

又擊兄師木 弟師木之時、御軍暫疲、爾歌曰、

多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥

簡単な解説

伊那佐山

エウカシを征伐した大殿や血原から北へ7kmほどの小高い山が伊那佐山は、榛原から菟田野までを一望できる立地です。

ここから、敵の動きを偵察していたのですね。

宇陀制圧は、てっきり大殿での出来事だけで事が済んだんだと思っていましたが、実は、それなりの戦が繰り広げられたんですね。

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