8代孝元天皇

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8代 孝元天皇(こうげん)

現代語

大倭根子日子國玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクルの命)輕之堺原宮(かるのさかひはらのみや)に都を定めて、天下を治められた。

孝元天皇が穗積臣(ほづみのおみ)らの祖の内色許男命(ウツシコヲの命)の妹の内色許賣命(ウツシコメの命)を娶って生まれた御子は、

  • 大毘古命(オホビコの命)
  • 少名日子建猪心命(スクナヒコタケイココロの命)
  • 若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオホビビの命)

の三人でした。

また、内色許男命の娘の伊賀迦色許賣命イカガシコメの命)を娶って生まれた御子は、

  • 比古布都押之信命(ヒコフツオシノマコトの命)

また、河内青玉(カフチノアヲタマ)の娘の波邇夜須毘賣(ハニヤスビメ)を娶って生まれた御子は、

  • 建波邇夜須毘古命(タケハニヤスビコの命)一人です。

このように、孝元天皇の御子は皆で5人でした。

次の天下は、若倭根子日子大毘毘命が治められました。

 

兄の大毘古命の子は、

  • 建沼河別命(タケヌナカハワケの命)で、阿倍臣(あへのおみ)らの祖となります。 
  • 比古伊那許士別命(ヒコイナコジワケの命)で、膳臣(かしはでのおみ)らの祖となりました。

原文

大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之祖・內色許男命色許二字以音、下效此妹・內色許賣命、生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。三柱。又娶內色許男命之女・伊賀迦色許賣命、生御子、比古布都押之信命。自比至都以音。又娶河內青玉之女・名波邇夜須毘賣、生御子、建波邇夜須毘古命。一柱。此天皇之御子等、幷五柱。故、若倭根子日子大毘毘命者、治天下也。其兄大毘古命之子、建沼河別命者、阿倍臣等之祖。次比古伊那許士別命、自比至士六字以音。此者膳臣之祖也。

簡単な解説

輕之堺原宮

奈良県橿原市見瀬町586−1。近鉄吉野線の岡寺駅の北踏み切りの傍に石碑があります。

天皇と物部

8代孝元天皇は、内色許男命の妹の内色許賣命を妃として、9代開化天皇をもうけました。

また、8代孝元天皇は、内色許賣命の娘の伊賀迦色許賣命も妃としました。孫に建内宿禰が生まれます。

そして、この伊賀迦色許賣命は、9代開化天皇の后にもなり、なんと10代崇神天皇を生みます。

この方々は皆、穂積氏の祖となる方々、すなわち饒速日尊を始祖とする系統。皇室との密接な関わりを感じますね。

比古布都押之信命(ヒコフツオシノマコトの命)

建内宿禰の父となる人です。

大毘古命(オホビコの命)

孝元天皇の第1子。大和朝廷の勢力拡大に貢献した、四道将軍のうちの一人です。北陸道を担当しました。

このあと、崇神天皇の段で大活躍しますので、覚えておいてください。

建波邇夜須毘古命(タケハニヤスビコの命)

大毘古命とは、異母兄弟。崇神天皇の段で反乱を起こします。覚えておいてください。

建沼河別命(タケヌナカハワケの命)

大毘古命の息子。東海道の平定に派遣された将軍です。

 

建内宿禰の系譜

現代語

比古布都押之信命(ヒコフツオシノマコトの命)が、尾張連(をはりのむらじ)らの祖の意富那毘(オホナビ)の妹の葛城之髙千那毘賣(カヅラキノタカチナビメ)を娶って生まれた子は、味師内宿禰(ウマシウチのすくね)これは山代内臣(やましろのうちのうみ)の祖 です。

また、木國造(きのくにのみやつこ)の祖の宇豆比古(ウヅヒコ)の妹の山下影日賣(ヤマシタカゲヒメ)を娶って生まれた子が、建内宿禰(たけうちのすくね)です。

 

この建内宿禰の子は、男七人、女二人の九人でした。

建内宿禰(たけうちのすくね)の子の、、、

波多八代宿禰(ハタノヤシロのすくね)は、波多臣(はたのおみ)、林臣(はやしのおみ)、波美臣(はみのおみ)、星川臣(ほしかはのおみ)、淡海臣(あふみのおみ)、長谷部君(はつせべのきみ)の祖となりました。

許勢小柄宿禰(コセノヲカラのすくね)は、許勢臣(こせのおみ)、雀部臣(ささきべのおみ)、輕部臣(かるべのおみ)の祖です。

蘇賀石河宿禰(ソガノイシカハのすくね)は、蘇我臣(そがのおみ)、川邊臣(かはべのおみ)、田中臣(たなかのおみ)、高向臣(たかむくのおみ)、小治田臣(をはりだのおみ)、櫻井臣(さくらゐのおみ)、岸田臣(きしだのおみ)らの祖となりました。

平群都久宿禰(ヘグリノツクのすくね)は、平群臣(へぐりのおみ)、佐和良臣(さわらのおみ)、馬御樴連(うまのみくひのむらじ)らの祖です。

木角宿禰(キノツノのすくね)は、木臣(きのおみ)、都奴臣(つぬのおみ)、坂本臣(さかもとのおみ)の祖。

久米能摩伊刀比賣(クメノマイトヒメ)。怒能伊呂比賣(ノノイロヒメ)。

葛城長江曾都毘古(カヅラキノナガエノソツビコ)は、玉手臣(たまてのおみ)、的臣(いくはのおみ)、生江臣(いくえのおみ)、阿藝那臣(あぎなのおみ)らの祖です。

若子宿禰(ワクゴのすくね)は江野財臣(えののたからのおみ)の祖 となりました。

孝元天皇は57歳でお亡くなりになり、御陵は劒池之中岡(つるぎいけのなかのをか)の上にあります。

原文

比古布都押之信命、娶尾張連等之祖意富那毘之妹・葛城之高千那毘賣那毘二字以音、生子、味師內宿禰。此者山代內臣之祖也。又娶木國造之祖宇豆比古之妹・山下影日賣、生子、建內宿禰。

此建內宿禰之子、幷九。男七、女二。波多八代宿禰者、波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君之祖也。次許勢小柄宿禰者、許勢臣、雀部臣、輕部臣之祖也。次蘇賀石河宿禰者、蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也。次平群都久宿禰者、平群臣、佐和良臣、馬御樴連等祖也。次木角宿禰者、木臣、都奴臣、坂本臣之祖。次久米能摩伊刀比賣、次怒能伊呂比賣、次葛城長江曾都毘古者、玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也。又若子宿禰、江野財臣之祖。

此天皇御年、伍拾漆歲。御陵在劒池之中岡上也。

簡単な解説

建内宿禰(たけうちのすくね)

12代景行天皇から、成務、仲哀、応神、そして16代仁徳天皇まで、なんと5代の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣です。

特に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の段で大活躍しますので、覚えておいてください。

紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など、多くの中央有力豪族の祖とされています。

劒池之中岡(つるぎいけのなかのをか)の上

奈良県橿原市石川町に石川池があり、そこに劔池嶋上陵があります。池に半島のように突き出ている、かわった古墳です。まさに、池の中岡の上です。

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