少彦名神の登場
大国主神神が出雲の御大之御前(みほのみさき)におられたとき、白波の中から天之羅摩船(あめのかがみぶね)に乗って、蛾蝶の皮で作った衣をまとった神がやって来きました。
お名前を尋ねましたが、答えてくれません。お供の神々にも尋ねましたが、誰も知りませんでした。
ところが、蛙がいうには、

久延比古なら、きっと知っているでしょう
とのことでしたので、久延比古を呼んで尋ねたところ、



あの方は、神産巣日神の子の少名比古那神(スクナビコナの神)です。
と答えました。
そこで、神産巣日神に確認してみると、



これは確かに私の子である。
子の中で、私の指の間からこぼれ落ちた子である。



おい、お前。
お前はこれから葦原色許男命(アシハラシコヲの命=大国主神)と兄弟となって協力し、この国を作り固めなさい。
と、少名比古那神にお命じになりました。
さて、どれほどの年月をかけたでしょう。
大穴牟遅神と少名比古那神の二柱の神が協力して、この国は作り整えられていきました。
整えられたとはいうものの、国というものは、出来上がるというものではありません。常に経営が必要です。しかし、少名比古那神は、ひとりで常世国(とこよのくに)に行ってしまわれました。
ちなみに、少名比古那神のお名前を知っていた久延比古神は、今は「やまだのそほど(案山子)」と呼ばれています。この神は、足で歩くことは出来ないのですが、天下の事は雀から聞いて、すべてご存知の神なのです。
御諸山に鎮まる神
さて、少名比古那神に去られた大国主神は悲しんで、嘆かれました。



はぁ。私一人で、どうしてこの国を作ることができるだろうか。
どの神と一緒にこの国を作ればよいのだろうか。
すると、その時、海を光照らしてやって来る神がありました。
そして、その神がおっしゃいました。



私をしっかりと祀ったならば、一緒に国を作り上げよう。
そうしないと国は出来上がらないだろう。



いったい、どのようにして祀ればよいのですか?



私を大和の国を取り囲む青垣の、東の山の上に祀りなさい。
この神が御諸山(みもろのやま)の上に鎮まる神です。
ひとことメモ
少彦名神
天之羅摩船は、ガガイモの実を半分に切って船にしたもの。そして、蛾の皮で作った衣をまとっていたという描写から、とても小さい神であることがわかります。小さいから神産巣日神の指の間からこぼれ落ちたのでしょう。
少彦名神の神格は、酒造の神、医薬の神、温泉の神・まじないの神・穀物の神・知識の神など、多岐にわたります。これらは、大陸の先進技術のように思えます。
海からやってきたことと合わせて、渡来系の民族の象徴のように思えますね。あるいは、秦氏、、、
久延比古
「やまだのそほど」案山子を神格化した神ですから、そもそもは田の神、農業の神です。「クエ」は「崩れた」というような意味ですから、崩れた男ということになります。
風雨にさらされてボロボロになった案山子。でも、それぐらい長い間、天下に立ち続けているから、すごく物知りな人。ということでしょうか。
三輪の大神神社の末社に「久延比古神社」があります。知恵の神として進学試験や資格試験の受験を控えた人々の信仰を集めています。
常世の国
海のはるか彼方の理想郷なのか、死後の世界なのか、記紀にはどちらともとれる記述となっています。
垂仁天皇の命令で常世の国に「橘」をとりに行った田道間守のお話は、理想郷のように思えますし、神武天皇の兄「御毛沼命」が海に身を投げて常世の国に行ったお話(日本書紀)では、死後の世界のようにも思えます。
現世界とは違う世界を総括して、複合的な概念でもって「常世の国」と呼んでいたのでしょうか。
御諸山に鎮まる神の正体
古事記には、その神名すら記載されていませんが、日本書紀の一書には「大物主神」という神名で、大国主神と同一だということですし、大神神社の社伝では、大国主神自らが自分の和魂を大物主神として祀ったものとしています。
よくわからないのです。といいますか、よくわからないようにしているのかも、と思ってます。
青垣
「青々とした山が周囲を取り巻いているさまを青い垣に見立てていう土地ぼめの語。」 これが辞書で調べた「青垣」です。
実際、奈良盆地で田園地帯など見通しの良い場所に立つと、この青垣の様子がよくわかります。360度すべて青い山で取り囲まれていますから。
周囲を山で囲まれた天然の城にも見えますし、山々のどこから日が昇りどこに日が沈むのか、暦にも便利な地形であることがわかりますね。
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