古事記|葦原中國平定⑤|国譲りと出雲大社の創建

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出雲大社の創建

建御雷神之男が戻ってきて、大国主神に

スサノヲ

お前の子の八重言代主神と建御名方神の二神は天神の御子の命に背かない、とのことである。貴殿、どうなさる?

と尋ねると、大国主神は答えました。

オオクニヌシ

我が子の答えと私の答えは違いません。この葦原中国はおっしゃる通り、差し出しましょう。
ただ、私の住まいを、天神の御子が帝位に昇られる壮大な宮殿のように、大磐石に太い宮柱を立て、大空に棟木を高く上げてお作りくださり、お祀り頂けるのであれば、私は片隅に隠れていましょう。
八重言代主神が天神の御子の先頭や殿(しんがり)となってお仕えするならば、我が子の多くの神々も、皆従うでしょう。

これをもって、葦原中國の統治権は国津神から天津神に献上されたのです。

大国主神を祀る

その後、出雲国の多藝志之小浜(たぎしのをはま)に宮殿、杵築大社(今の出雲大社)を創建しました。

水門神(みなとのかみ)の孫の櫛八玉神(クシヤタマの神)を料理役として、御馳走を献上します。

クシヤマタが鵜に変身して海底に潜り、海底の赤土を取ってきて、沢山の皿を作り、海草の茎で燧臼と燧杵を作り、擦り合わせて火を起して唱えるに、

クシヤタマ

私が起こした火は、
高天原にあるカムムスビの命の富栄える宮殿に煤が長く垂れさがるまで、焚きあげ、
地の下では、底の岩盤を焚き固め、コウゾの長い綱を延ばして、海人が釣り上げた見事な鱸をサラサラと引き寄せ上げて、
机がたわむほどの立派な魚料理を献上いたします。

そこで、建御雷神之男は天に上り、葦原中国を説得し平定した様子をご報告申し上げました。

ひとことメモ

出雲大社

大国主神は、国を譲る代わりに、天に聳える宮を所望しました。そしてそれは叶いました。

その高さはというと、32丈(100m)とか16丈(50m)とかと言われています。とんでもなく高い神殿です。ほんとうかな?と思いますよね。

2000年。出雲大社で、かつての宇豆柱が発見されました。直径3mの太い太い柱です。鑑定の結果、鎌倉時代前期のものだったそうです。

古代とは言いませんが、古事記になぞらえて奈良時代あたりには、造ったんだろうな~と思います。

このように、天まで届くほどの神殿を作り、御馳走でおもてなしをして、出雲の国は譲られることとなったのです。

後の統治のことを考えると、征服する側は、征服される側に対して、それ相応の礼儀と心遣いをしなければならなかったのではないでしょうか。

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