葦原中國平定⑤|出雲大社の創建

2019年9月4日

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出雲大社の創建

現代語

建御雷神之男が戻ってきて、大国主神に

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お前の子の八重言代主神と建御名方神の二神は天神の御子の命に背かない、とのことである。貴殿はどうだ?

と尋ねると、大国主神は答えました。

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我が子の答えと私の答えは違いません。この葦原中国はおっしゃる通り、差し出しましょう。

ただ、私の住まいを、天神の御子が帝位に昇られる壮大な宮殿のように、大磐石に太い宮柱を立て、大空に棟木を高く上げてお作りくださり、お祀り頂けるのであれば、私は片隅に隠れていましょう。

八重言代主神が天神の御子の先頭や殿(しんがり)となってお仕えするならば、我が子の多くの神々も、皆従うでしょう。

これをもって、葦原中國の統治権は国津神から天津神に献上されたのです。

原文

故、更且還來、問其大國主神「汝子等、事代主神・建御名方神二神者、隨天神御子之命、勿違白訖。故、汝心奈何。」爾答白之「僕子等二神隨白、僕之不違。此葦原中國者、隨命既獻也。唯僕住所者、如天神御子之天津日繼所知之登陀流此三字以音、下效此天之御巢而、於底津石根宮柱布斗斯理此四字以音、於高天原氷木多迦斯理多迦斯理四字以音而、治賜者、僕者於百不足八十坰手隱而侍。亦僕子等百八十神者、卽八重事代主神爲神之御尾前而仕奉者、違神者非也。」

簡単な解説

交換条件

大国主神は、国を譲る代わりに、天に聳える宮を所望しました。そしてそれは叶いました。

その高さはというと、32丈(100m)とか16丈(50m)とかと言われています。とんでもなく高い神殿です。ほんとうかな?と思いますよね。

2000年。かつての宇豆柱が発見されました。直径3mの太い太い柱です。鑑定の結果、鎌倉時代前期のものだったそうです。

古代とは言いませんが、古事記になぞらえて奈良時代あたりには、造ったんだろうな~と思います。

 

大国主神を祀る

現代語

その後、出雲国の多藝志之小浜(たぎしのをはま)に宮殿、杵築大社(今の出雲大社)を創建しました。

水門神(みなとのかみ)の孫の櫛八玉神(クシヤタマの神)を料理役として、御馳走を献上します。

クシヤマタが鵜に変身して海底に潜り、海底の赤土を取ってきて、沢山の皿を作り、海草の茎で燧臼と燧杵を作り、擦り合わせて火を起して唱えるに、

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私が起こした火は、
高天原にあるカムムスビの命の富栄える宮殿に煤が長く垂れさがるまで、焚きあげ、
地の下では、底の岩盤を焚き固め、コウゾの長い綱を延ばして、海人が釣り上げた見事な鱸をサラサラと引き寄せ上げて、
机がたわむほどの立派な魚料理を献上いたします。

そこで、建御雷神之男は天に上り、葦原中国を説得し平定した様子をご報告申し上げました。

原文

如此之白而、於出雲國之多藝志之小濱、造天之御舍多藝志三字以音而、水戸神之孫・櫛八玉神、爲膳夫、獻天御饗之時、禱白而、櫛八玉神、化鵜入海底、咋出底之波邇此二字以音、作天八十毘良迦此三字以音而、鎌海布之柄、作燧臼、以海蓴之柄、作燧杵而、鑽出火云、

是我所燧火者、於高天原者、神產巢日御祖命之、登陀流天之新巢之凝烟訓凝姻云州須之、八拳垂摩弖燒擧麻弖二字以音、地下者、於底津石根燒凝而、繩之、千尋繩打延、爲釣海人之、口大之尾翼鱸訓鱸云須受岐、佐和佐和邇此五字以音、控依騰而、打竹之、登遠遠登遠遠邇此七字以音、獻天之眞魚咋也。

故、建御雷神、返參上、復奏言向和平葦原中國之狀。

簡単な解説

天まで届くほどの神殿を作り、御馳走でおもてなしをして、出雲の国は譲られることとなったのです。

征服する側は、征服される側に対して、それ相応の礼儀と心遣いをしなければ、その後の統治は困難を極めるということでしょう。だって、人ですからね。

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