16代仁徳天皇⑤|雁の卵と枯野

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めでたい!鴈の卵

ある時、天皇が宴会をするために日女嶋(ひめしま)に行きました。

そこで鴈(かり)が卵を産んだと聞き、建内宿禰命を呼び寄せて、鴈が卵を産むことについて歌で、尋ねました。

わが大臣よ、
あなたは世にも長壽の人だ。
この日本の國に
雁が子を生んだのを聞いたことがあるか。

建内宿禰が歌でお答えするに、

高く光り輝く日の御子樣、
よくこそお尋ねくださいました。
まことにもお尋ねくださいました。
わたくしこそはこの世の長壽の人間ですが、
この日本の國に
雁が子を生んだとはまだ聞いておりません。

このようにお答えして、御琴をお借りして歌った歌

あなたの御子がお治めになられる御世が末永くいついつまでも続くことの良き徴として、雁が子を産んだのに違いありません

これは本岐歌(ほきうた)の片歌(かたうた)です。

原文

亦一時、天皇爲將豐樂而、幸行日女嶋之時、於其嶋、鴈生卵。爾召建內宿禰命、以歌問鴈生卵之狀、其歌曰、

多麻岐波流 宇知能阿曾 那許曾波 余能那賀比登 蘇良美都 夜麻登能久邇爾 加理古牟登岐久夜

於是建內宿禰、以歌語白、

多迦比迦流 比能美古 宇倍志許曾 斗比多麻閇 麻許曾邇 斗比多麻閇 阿禮許曾波 余能那賀比登 蘇良美都 夜麻登能久邇爾 加理古牟登 伊麻陀岐加受

如此白而、被給御琴歌曰、

那賀美古夜 都毘邇斯良牟登 加理波古牟良斯

此者本岐歌之片歌也。

簡単な解説

日女嶋(ひめしま)

姫嶋は各地にあり、どれが今回の舞台となったのかは判明しません。

あえて、可能性として挙げるとすると、、、

仁徳天皇は難波の高津宮を拠点としていたので、近い所で淀川河口にある姫嶋と考えるのが妥当でしょうかね。

鴈が卵を産む

雁は渡り鳥でして、冬になると越冬のために日本に渡ってきます。なので、日本に滞在している期間に卵を産むことは無いのです。

建内宿禰も、そのことは知っていたのか、一旦は「そんなこと、見たことも聞いたこともない」と全否定したわけです。

でも、そこはそれ。建内宿禰は天下の大忠臣ですからして、機転を利かせて「皇統の繁栄を祝う歌」で締めくくったというような感じでしょうかね。

 

高速船「枯野」

現代語

この御世に、免寸河(うきかわ)の西に一本の大樹が生えていました。

その樹の影は、朝日が当たると淡道嶋(あはぢしま)まで届き、夕日が当たると高安山(たかやすやま)を越えるほどの大樹でした。

この樹で作った船はとても早く走る船で、名を枯野(からの)といいました。

宮殿では、この船で朝夕に淡道嶋から寒泉(冷水)を運び込んでは、天皇の飲み水としていました。

ある日、この船が壊れてしまったので、船材を燃やして塩を作り、焼け残った木でを作りました。

その琴の音は七里離れたところにも聞こえました。そこで、詠んだ歌は、

枯野船を塩を作る燃料として焼き、その燃え残りで琴を作った。その琴を爪弾くと、由良の瀬戸の海中の岩に触れて生えている、なづの木(海藻)のように、さやさやと澄みきったいい音がする

これは志都歌(しつうた)の歌返(うたひかへし)である。

原文

此之御世、免寸河之西、有一高樹。其樹之影、當旦日者、逮淡道嶋、當夕日者、越高安山。故切是樹以作船、甚捷行之船也、時號其船謂枯野。故以是船、旦夕酌淡道嶋之寒泉、獻大御水也。茲船破壞、以燒鹽、取其燒遺木作琴、其音響七里。爾歌曰、

加良怒袁 志本爾夜岐 斯賀阿麻理 許登爾都久理 賀岐比久夜 由良能斗能 斗那賀能伊久理爾 布禮多都 那豆能紀能 佐夜佐夜

此者志都歌之歌返也。

簡単な解説

免寸河(うきかわ)の高い木

免寸河の畔に生える1本の高い木は、どこにあったのでしょうか。調べたくなりますよね。

朝は淡路島に影が伸び、夕方は高安山に影が伸びるということですから、

  • 朝日で淡路島に影・・・マップ上の、上下のブルー線の範囲
  • 夕日で高安山に影・・・マップ上の、上下のオレンジ線の範囲

まずは、その範囲内の「陸地」が候補範囲となります。次のマップです。結構広いですね。

ところがこの範囲では、朝に淡路島へ影が伸びる日と、夕方に高安山へ影が伸びる日が違うということもあります。それじゃ面白くないので、狭めましょう。

古代のことですから、夏至・冬至・春分の日に絞って、同日の朝夕に、淡路島と高安山に影を延ばす地点を調べたのが、次のマップです。

この調査、しんどくなってきたので、もうやめます。

 

一般的に伝承地として知られているのは「等乃伎神社」です。そばを「富木川」が流れています。いずれも「とのき」と読みます。一説には、免寸河も「とのき」とも読むらしいです。

でもここは残念ながら、「朝夕の影」の条件には当てはません。そのかわり、冬至の朝日は山頂から昇ります。それはそれで、重要な日読みの地ですね。

ということで、一件落着です。

でも、一か所だけ気になる地名を発見したので、付け加えておきましょう。

春分の日に高安山山頂を通る太陽の道上に、「神ノ木」という地名を見つけました。住吉大社の裏側あたりです。

「速く走る」と「枯野」

船の名前が「枯野」とは、少し変です。何か意味があるのでしょうか。

「かれの」=「かるの」で、軽々と走る船ととして名付けたという説。

野原で枯れた草は牧草となり、馬の餌となる。馬と言えば早い。だから速く走る船に、馬つながりの枯野という名を付けたという説。

などなど、苦しい解釈が多いです。

「琴」と「船」

古くなり壊れた枯野を燃やして塩を作りましたが、焼け残った部分があったので琴を作ったというのは何でしょう。

古代の琴には、板作りと槽作り(ふねつくり)の2種類があったらしいです。槽作りは共鳴部が備わって、美しく響く音色を出す琴です。

槽(ふね)作りの琴が開発されたことを物語にしたように思えます。

淡道嶋の寒泉(冷水)

その伝承地は、淡路島に2か所あるようです。

  • 御井の清水・・・淡路島の北東部。
  • 広田の寒水・・・淡路島の洲本市。

 

天皇の崩御と御陵

現代語

天皇83歳、丁卯年八月十五日にお亡くなりになりました。御陵は毛受之耳原(もずのみみはら)にある。

原文

此天皇御年、捌拾參歲。丁卯年八月十五日崩也。御陵在毛受之耳上原也。

簡単な解説

毛受之耳原(もずのみみはら)

大阪府堺市大仙町にある大仙陵古墳が、仁徳天皇の御陵に治定されています。日本最大の前方後円墳として知られ、周囲の古墳を合わせて「百舌鳥古墳群」と呼ばれています。

一方、父である応神天皇の御陵とされる誉田廟山古墳を中心とする古墳群が「古市古墳群」。令和元年に世界文化遺産に登録されました。

ちなみに、仁徳天皇陵と応神天皇陵は、実は同じ緯度にあることをご存知でしょうか。前方後円墳の前方部分(石室部分)が、ほぼ同じ緯度なんですよ。

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