オノゴロ島の誕生

そこで、天神(あまつかみ)達は、伊邪那岐命と伊邪那美命の二人に、
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この漂っている国を、整えて、しっかりと作り固めて仕上げなさい※。
と仰せになり、天沼矛という立派な矛を授け、この大仕事を委任※なさいました。
二人は、天浮橋という階段に立って、天沼矛をさしおろして下の世界をかき回しました。海水はコオロコオロと鳴り響きます。
矛を引き上げますと、その矛先から滴り落ちる塩が積もり積もって島ができました。その島を淤能碁呂嶋(オノゴロ島)といいます。
初めての交ぐわい


二人は、その島に降臨して、天之御柱(大きな柱)を立て、八尋殿(大きな家のこと)を建てました。
そこで、おもむろに伊邪那岐命が伊邪那美命に尋ねました。
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お前の体は、どんなふうにできているのだ?
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私の体は、成り整いましたが、一か所だけ合わさらない所があります
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そうか。私の体も成り整ったのだが、実は一か所だけ余った所がある。
だから、私の余った所でお前の合わさっていないところを挿し塞いで、国を生んでみようと思うのだが、どうだ?
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では、そういたしましょう。。。
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ではまずは、私とお前が、この天之御柱の周りを廻り合ってから、交ぐわいをしようではないか。
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わかりました。。。
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じゃあ、お前は右から廻りなさい。私は左から廻ろう。そして出逢ったところで誘うからな。
このように約束をして、二人はそのように柱の周りを廻りあって出逢ったところで、まず伊邪那美命が先に声をかけました。
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まあ、なんといい男っぷりなんでしょう!
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おお、なんと美しいお嬢さんなんだろう!
このように挨拶を交わしたところで、
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おいおい。女から先に声をかけたのは、よくなかったぞ※
伊邪那岐命はそう言いましたが、はやる気持ちを抑えきれず、そのまま寝屋を建てて、交ぐわいを行いました。
この交ぐわいで生まれた神が水蛭子(ヒルコ)※です。でもこの子は、葦の船に乗せて海に流してしまいました。
次に生まれたのが淡嶋(アハシマ)※です。この子も子の数には数えません。
ひとことメモ
修理固成 を言依する
ここでは、天の神々が、史上初めて言葉を発しました。
その言葉が「修理固成(作り固め成せ)」です。そしてそれが「言依」されたと記されています。「言依」とは、「委任」に近しい意味でしょう。
天の神は「国を作り固めて仕上げる」ことを、伊邪那岐と伊邪那美に「委任した」ということになります。
この一文で、「伊邪那岐と伊邪那美の子孫のみが国の統治権を持つ」ことの根拠となるのです。
この二人から天孫「邇邇芸命」へ、そして「神武天皇」へ、さらに「歴代の天皇」へと引き継がれていきます。
よって、どの時代においても、天皇は、天の神々の代理として国を作り固める任務、すなわち統治権を持つということに外ならないのです。
淤能碁呂嶋
神が初めて地上に降り立った場所、日本国土のはじまりという「おのごろ嶋」はどこなのか。
永遠の謎なわけですが、いくつかの候補をあげておきます。
- 友ヶ島の島々・・・平安時代の「新撰姓氏録」による。
- 沼島・・・平安時代「新撰亀相記」、鎌倉末期「釈日本紀」による。(最有力)
- 絵島・・・本居宣長の「古事記伝」による。
このように、淡路島周辺の小島を伝承地とする説が有力です。
そんな中、いやいや淡路島そのものの中にあるのよ!という説を唱えるのが、「おのごろ島神社」です。古代、そこは入り江になっていて、その入り江の中にポッカリと浮かぶ島だったといいます。
初めての性交は失敗
この段は、なかなかもって艶めかしい段ですね。「合わさっていない部分」と「余った部分」なんていう表現を使ったことで、艶めかしさが増しているように思いませんか?
男から誘うべき。という概念は、古事記編纂当時すなわち飛鳥~奈良時代でも現在でも同じなんですね。いや、最近は変わってきたかな?
水蛭子神
最初の子「ヒルコ」は葦船に載せられて海に流されました。なぜ?
日本書紀では、「3年たっても足腰が立たなかったから」と記されています。すなわち、不具の子だったということになります。
その葦船は、西宮の鳴尾浜に漂着。地元の漁師が発見し、廣田神社摂社の南浜の宮の境内に、大漁を祈願してお祀りしました。それがいつしか市場の神となり、西宮戎に発展していきました。
とは西宮神社の社伝です。
記紀が編纂されるずっと前の自然信仰時代には、海からくる神を「えびす」と呼んでいました。クジラなんかもそうらしいです。クジラが獲れると村全体が潤うから、クジラは神様なんだとか。
稗田阿礼は、その自然信仰の「えびす」を意識して、ここで「水蛭子」を登場させたのでしょうか。
このタイミングで登場させるのは、おそらく、東南アジアの海洋民族の神話に多い、「第一子は胎盤で第二子が実際の子なんだ」という考え方に基づくものかも知れません。
淡嶋神
であれば、第二子の淡嶋神は元気に生まれてくるはずなのに、この数に入れないと記されています。これは、水蛭子と同じく不具合があったことを暗示しています。
淡は泡ではないでしょうか。
私の第一子がそうだったんですが。。。子宮の中でうまく細胞分裂できずに、泡のような状態になる場合があるんですよね。
それを表現したのでしょうか。
ちなみに、
淡嶋神を祀る神社が、大阪湾の南端の「加太」にあります。淡嶋神社です。今は少彦名命に代わってますが、元は淡嶋神を祀っていました。(たぶん今も)
蛭子神を祀る西宮神社は、大阪湾の北にあります。
淡路島から見て、対になっているようで、面白いですね。
コメント
コメント一覧 (2件)
島根県安来市はイザナミ神の神陵がありますが、その日本海側の安来が接する海に中海と言うところがあります。お隣の鳥取県米子市もその中海に接するのですが、粟島という陸続きの小山があります。かつては粟島はその名の通り島であったことが推察され、そのような位置関係から考えますと安来市の十神山が八洲起源のオノゴロ島であったことが推察されます。古事記神話は前半は日本海側、後半は太平洋・瀬戸内側というザックリとした神話の構造があるとするならば、前半の話は神世といえども出雲あたりを舞台にしたと思われます。
鷲宮催馬神楽ファン様
コメントありがとうございます。
いろんな説があって面白いのが神話の世界ですね。また勉強させていただきます!