伊邪那岐と伊邪那美②|オノゴロ島で初めての交ぐわい

2019年9月4日

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オノゴロ島の誕生

現代語

そこで、天神(あまつかみ)達は、伊邪那岐命と伊邪那美命の二人に、

この漂っている国を整えて、しっかりと作り固めて仕上げなさい。

と仰せになり、天沼矛という立派な矛を授け、この大仕事を委任なさいました。

 

二人は、天浮橋という階段に立って、天沼矛をさしおろして下の世界をかき回しました。海水はコオロコオロと鳴り響きます。

矛を引き上げますと、その矛先から滴り落ちる塩が積もり積もって島ができました。その島を淤能碁呂嶋(オノゴロ島)といいます。

原文

於是天神、諸命以、詔伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神「修理固成是多陀用幣流之國。」賜天沼矛而言依賜也。故、二柱神、立訓立云多多志天浮橋而指下其沼矛以畫者、鹽許々袁々呂々邇此七字以音畫鳴訓鳴云那志而引上時、自其矛末垂落之鹽累積、成嶋、是淤能碁呂嶋。自淤以下四字以音。

簡単な解説

ここでは、天の神々が、史上初めて言葉を発しました。その言葉が「修理固成(作り固め成せ)」です。そしてそれが「言依」されたと記されています。

「言依」とは、「委任」に近しい意味でしょう。

よって、天の神は、伊邪那岐と伊邪那美に「国を作り固めて仕上げる」ことを「委任した」ということになります。

その国造りには終わりは有りません。

この二人から天孫「邇邇芸命」へ、そして「神武天皇」へ、さらに「歴代の天皇」へと引き継がれていくのです。

よって、どの時代においても、天皇は、天の神の代理として国を作り固める任務、すなわち統治権を持つということに外ならないのです。

 

初めての交ぐわい

現代語

二人は、その島に降臨して、天之御柱(大きな柱)を立て、八尋殿(大きな家のこと)を建てました。

そこで、おもむろに伊邪那岐命が伊邪那美命に尋ねました。

 

Left Caption
お前の体は、どんなふうにできているのだ?
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私の体は、成り整いましたが、一か所だけ合わさらない所があります。
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そうか。私の体も成り整ったのだが、実は一か所だけ余った所がある。
だから、私の余った所でお前の合わさっていないところを挿し塞いで、国を生んでみようと思うのだが、どうだ?
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では、そういたしましょう。。。
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ではまずは、私とお前が、この天之御柱の周りを廻り合ってから、交ぐわいをしようではないか。
Right Caption
わかりました。。。
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じゃあ、お前は右から廻りなさい。私は左から廻ろう。そして出逢ったところで誘うからな。

このように約束をして、二人はそのように柱の周りを廻りあって出逢ったところで、まず伊邪那美命が先に声をかけました。

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まあ、なんといい男っぷりなんでしょう!
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おお、なんと美しいお嬢さんなんだろう!

このように挨拶を交わしたところで、

Left Caption
おいおい。女から先に声をかけたのは、よくなかったぞ。

伊邪那岐命はそう言いましたが、はやる気持ちを抑えきれず、そのまま寝屋を建てて、交ぐわいを行いました。

この交ぐわいで生まれた神が水蛭子(ヒルコ)です。でもこの子は、葦の船に乗せて海に流してしまいました。

次に生まれたのが淡嶋(アハシマ)です。この子も子の数には数えません。

原文

於其嶋天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。於是、問其妹伊邪那美命曰「汝身者、如何成。」答曰「吾身者、成成不成合處一處在。」爾伊邪那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土、生奈何。」訓生、云宇牟。下效此。伊邪那美命答曰「然善。」爾伊邪那岐命詔「然者、吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比此七字以音。」

如此之期、乃詔「汝者自右廻逢、我者自左廻逢。」約竟廻時、伊邪那美命、先言「阿那邇夜志愛上袁登古袁。此十字以音、下效此。」後伊邪那岐命言「阿那邇夜志愛上袁登賣袁。」各言竟之後、告其妹曰「女人先言、不良。」雖然、久美度邇此四字以音興而生子、水蛭子、此子者入葦船而流去。次生淡嶋、是亦不入子之例。

簡単な解説

この段は、なかなかもって艶めかしい段ですね。「合わさっていない部分」と「余った部分」なんていう表現を使ったことで、艶めかしさが増しているように思いませんか?

男から誘うべき。という概念は、古事記編纂当時すなわち飛鳥~奈良時代でも現在でも同じなんですね。いや、最近は変わってきたかな?

水蛭子神

最初の子「ヒルコ」は葦船に載せられて海に流されました。なぜ?

日本書紀では、「3年たっても足腰が立たなかったから」と記されています。すなわち、不具の子だったということになります。

その葦船は、西宮の鳴尾浜に漂着。地元の漁師が発見し、廣田神社摂社の南浜の宮の境内に、大漁を祈願してお祀りしました。それがいつしか市場の神となり、西宮戎に発展していきました。

とは西宮神社の社伝です。

記紀が編纂されるずっと前の自然信仰時代には、海からくる神を「えびす」と呼んでいました。クジラなんかもそうらしいです。クジラが獲れると村全体が潤うから、クジラは神様なんだとか。

稗田阿礼は、その自然信仰の「えびす」を意識して、ここで「水蛭子」を登場させたのでしょうか。

このタイミングで登場させるのは、おそらく、東南アジアの海洋民族の神話に多い、「第一子は胎盤で第二子が実際の子なんだ」という考え方に基づくものかも知れません。

淡嶋神

であれば、第二子の淡嶋神は元気に生まれてくるはずなのに、この数に入れないと記されています。これは、水蛭子と同じく不具合があったことを暗示しています。

淡は泡ではないでしょうか。

私の第一子がそうだったんですが。。。子宮の中でうまく細胞分裂できずに、泡のような状態になる場合があるんですよね。

それを表現したのでしょうか。

ちなみに、

淡嶋神を祀る神社が、大阪湾の南端の「加太」にあります。淡嶋神社です。今は少彦名命に代わってますが、元は淡嶋神を祀っていました。(たぶん今も)

蛭子神を祀る西宮神社は、大阪湾の北にあります。

淡路島から見て、対になっているようで、面白いですね。

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