15代応神天皇②|皇位継承者の指名と、その理由

スポンサーリンク

応神天皇、三皇子を試す

現代語

ある日天皇は、大山守命(おほやまもりの命)と大雀命(おほさざきの命)に聞きました。

「お前たち、年上の子と年下の子とでは、どちらが可愛いと思う?」

実はこの時、天皇は大山守命大雀命宇遲能和紀郎子のうち、一番年少の宇遲能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)に皇位を譲りたい思っていたのです。

大山守命は、

「年上の子です」

と答えました。

一方、大雀命は、そんな天皇の気持ちを察して、、、

「年上の子は成人ですから、案ずることは無いでしょう。しかし、年下の子はまだまだ若いですから、可愛いく思います。」

とお答えした。

天皇は

「サザキよ。その通りだ。私と同じ意見だな。」

とおっしゃいました。そこで、、、

「大山守命は山海に関する管理を命じる。大雀命は国政を行い天皇の助けよ。そして、宇遲能和紀郎子は皇位に就け。」

とおっしゃいました。

その後、大雀命が天皇の命に背くことはありませんでした。

原文

於是天皇、問大山守命與大雀命詔「汝等者、孰愛兄子與弟子。」天皇所以發是問者、宇遲能和紀郎子有令治天下之心也。爾大山守命白「愛兄子。」次大雀命、知天皇所問賜之大御情而白「兄子者、既成人、是無悒。弟子者、未成人、是愛。」爾天皇詔「佐邪岐、阿藝之言自佐至藝五字以音、如我所思。」卽詔別者「大山守命、爲山海之政。大雀命、執食國之政、以白賜。宇遲能和紀郎子、所知天津日繼也。」故、大雀命者、勿違天皇之命也。

簡単な解説

特に、ございません。

葛野の歌

現代語

あるとき、天皇が近江の国に行く途中、宇遲野(うぢの)に登られて、葛野(かづの)の方を見ながら詠まれた歌は、

葉の茂った葛野を見れば、
幾千も富み栄えた家居が見える、
国の中での良い所が見える。

そうこうしながら、木幡村に着きました。そこで、美しい乙女に出会いました。

天皇がその乙女に

「そなたは、誰の子かの?」

とお尋ねになると、

「丸邇之比布禮能意富美(わにのひふれのおほみ)の娘です。宮主矢河枝比賣(みやぬし やかはえひめ)と申します。」

と答えました。

「明日また帰りにここを通る。その時、そなたの家に行くからな。」

と乙女に告げました。

矢河枝比賣は家に帰り、その通りに父に伝えました。

父は

「これは、天皇がここに来られるということだぞ。恐れ多いことだ。娘よ、お仕え申上げよ。」

と言って、支度をしてお待ちしていると、翌日天皇が来られました。

お食事のときに、矢河枝比賣命に盃を持たせて献上したとき、その盃を持たせたまま、天皇が詠まれた御歌は、

この蟹や、どこの蟹
百々伝う 角鹿の蟹
横這いで どこに行く
いちしまの 美嶋に着き 

ニホドリの 潜る息継ぎ
しなだゆふ ササナミを
どんどんと 進んで行くと
木幡の道で 逢えた麗し乙女

後ろ姿は 小さくかわいい盾のよう
その歯並びは 椎や菱のよう

櫟井(いちいい)の 丸邇坂(わにさ)の土を
上の土は赤いから 下の土は赤黒だから
三つ栗の 中つ土をとり
強火に当てず 作った眉墨で
眉を書き くっきりと引き垂らす

偶然出会った乙女は そんな風ならいい
生まれてきた子も そんな風ならいい
生まれてきた子は、母と賑やかに
その美しさを 競うだろうよ

そこで、お見合いして、生まれた御子が、宇遲能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)なのです。

原文

一時、天皇越幸近淡海國之時、御立宇遲野上、望葛野歌曰、

知婆能 加豆怒袁美禮婆 毛毛知陀流 夜邇波母美由 久爾能富母美由

故、到坐木幡村之時、麗美孃子、遇其道衢。爾天皇問其孃子曰「汝者誰子。」答白「丸邇之比布禮能意富美之女、名宮主矢河枝比賣。」天皇卽詔其孃子「吾明日還幸之時、入坐汝家。」故、矢河枝比賣、委曲語其父、於是父答曰「是者天皇坐那理。此二字以音。恐之、我子仕奉。」云而、嚴餝其家候待者、明日入坐。故獻大御饗之時、其女矢河枝比賣命、令取大御酒盞而獻。於是天皇、任令取其大御酒盞而、御歌曰、

許能迦邇夜 伊豆久能迦邇 毛毛豆多布 都奴賀能迦邇 余許佐良布 伊豆久邇伊多流 伊知遲志麻 美志麻邇斗岐 美本杼理能 迦豆伎伊岐豆岐 志那陀由布 佐佐那美遲袁 須久須久登 和賀伊麻勢婆夜 許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣 宇斯呂傳波 袁陀弖呂迦母 波那美波 志比斯那須 伊知比韋能 和邇佐能邇袁 波都邇波 波陀阿可良氣美 志波邇波 邇具漏岐由惠 美都具理能 曾能那迦都爾袁 加夫都久 麻肥邇波阿弖受 麻用賀岐 許邇加岐多禮 阿波志斯袁美那 迦母賀登 和賀美斯古良 迦久母賀登 阿賀美斯古邇 宇多多氣陀邇 牟迦比袁流迦母 伊蘇比袁流迦母

如此御合、生御子、宇遲能和紀自宇下五字以音郎子也。

簡単な解説

宇遲野上

宇遲は、京都の宇治です。莵道や菟道とも書きます。

宇遅能和紀郎子が、このあたりに住んでいたから、この地名が付いたといわれています。

さて、宇野上はどこ?

明確な情報はありません。個人的には、宇治上神社あたりでは?と勝手に思ってます。

葛野郡

北は金閣寺あたりから南は嵯峨野、嵐山、桂、太秦といった、京都盆地の西側一帯が葛野郡です。

宇治上神社の高台からは、北西の方角の彼方に青々とした愛宕山や嵐山が見え、その手前に葛野の大穀倉地帯が見え、足元には巨椋池が広がります。

ずっと南に目を移すと天王山や男山まで見渡せたでしょうか。

葛野郡で有名な神社と言えば松尾大社。応神天皇の御代に大陸から渡来した人々が居住した葛野を象徴する大社です。

木幡村

宇治から川沿いに北へ少し進むと木幡という地名が見えます。ここには、許波多神社という延喜式内社の名神大社があります。

蟹の歌

なかなかに、難解です。勇気を持って訳しました。

前半は、乙女が木幡村までやってきた道程を謳い、中盤はその麗しさを謳い、後半は自分の好みを伝え、最後には気の早いことに生まれてくる子供にまで言及しています。しかも女の子が生まれる前提です。

このようにして、村で見つけた飛びっきり美しい自分好みの乙女との間に生まれてきた子宇遲能和紀郎子を次の天皇にしたいという気持ちは、理解できますね。

大雀命も、それを察したのでしょう。そして、うまく立ち回ったのです。。。

スポンサーリンク