15代応神天皇④|新羅と百済からの渡来人

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事績と百濟の朝貢

現代語

この御世に、海部(あまべ)・山部(やまべ)・山守部(やまもりべ)・伊勢部(いせべ)が定められました。

また、劒池(つるぎいけ)が作られました。

新羅人が渡来したので、建内宿禰命が新羅人を指揮して、渡の堤池として百済池(くだらいけ)を作らせました。

また、百済国主の照古王(しょうこうおう)が、阿知吉師(あちきし)に牡馬一匹・牝馬一匹を付けて貢ぎました。

この阿知吉師は阿直史(あちのふひと)らの祖です。

また、横刀(たち)と大鏡も貢ぎました。

この時、百済国に「さらに上の賢人がいれば召し出せ。」とおっしゃいました。

そこで、百済は、論語十巻・千字文一巻、合計十一巻を持たせて和邇吉師(わにきし)を差出しました。

この和邇吉師は文首(ふみのおびと)らの祖です。

また、韓の鍛冶職人の卓素(たくそ)と呉の機織職人の西素(さいそ)の二人も差出しました。

また、秦造(はたのみやつこ)の祖となる人と、漢直(あやのあたひ)の祖となる人、それに杜氏の仁番(にほ)、またの名を須須許理(すすこり)らも渡来しました。

この杜氏の須須許理が大御酒を作り、天皇に献上しました。献上された酒に酔って浮かれて、詠まれた歌は、

須須許理のしたお酒にわたしは醉いましたよ。
平和なお酒、樂しいお酒にわたしは醉いましたよ。

歌ってから、お出掛けになり、大坂に向かう道の大きな石を御杖でたたいたので、石が逃げ走りました。そこで、「堅い石も酔っぱらいに合うと逃げる」というのです。

原文

此之御世、定賜海部・山部・山守部・伊勢部也。亦作劒池。亦新羅人參渡來、是以、建內宿禰命引率、爲渡之堤池而、作百濟池。亦百濟國主照古王、以牡馬壹疋・牝馬壹疋、付阿知吉師以貢上。此阿知吉師者、阿直史等之祖。亦貢上横刀及大鏡。又科賜百濟國「若有賢人者、貢上。」故受命以貢上人・名和邇吉師、卽論語十巻・千字文一巻幷十一巻、付是人卽貢進。此和邇吉師者文首等祖。又貢上手人韓鍛・名卓素、亦吳服西素二人也。又秦造之神、漢直之神、及知釀酒人・名仁番、亦名須須許理等、參渡來也。故是須須許理、釀大御酒以獻。於是天皇、宇羅宜是所獻之大御酒而宇羅下三字以音御歌曰、

須須許理賀 迦美斯美岐邇 和禮惠比邇祁理 許登那具志 惠具志爾 和禮惠比邇祁理

如此歌、幸行時、以御杖打大坂道中之大石者、其石走避。故、諺曰「堅石避醉人也。」

簡単な解説

劒池(つるぎいけ)

橿原市石川町にある石川池が、剣池とのことです。

百済池

奈良県北葛城郡広陵町大字百済の地にあったという説、奈良県桜井市橋本の吉備池廃寺跡あたりという説もあります。

いずれにしても、この池は渡の堤池と記述されていますとおり、堤を渡して堰きとめて造った「ダム池」だったようすね。

和邇吉師

日本書紀では「王仁」。日本文化の発展に大きく貢献した学者とされています。その王仁のものではないかと言われているお墓が、大阪府枚方市藤阪に伝わっています。

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