15代応神天皇⑦|秋山之下氷壯夫と春山之霞壯夫

スポンサーリンク

秋山之下氷壯夫と春山之霞壯夫

現代語

伊豆志之八前大神には娘がいて、伊豆志袁登賣神(いづしをとめのかみ)といいました。多くの神がこの伊豆志袁登賣と結婚したがりましたが、誰も結婚できませんでした。

そしてここに、兄弟の神がいました。兄を秋山の下氷壯夫(あきやまのしたひおとこ)といい、弟を春山の霞壯夫(はるやまのかすみおとこ)といいます。

兄が弟に

「俺も伊豆志袁登賣に求婚したんだが、うまくいかなかったよ。お前なら手に入れられるか?」

と訊ねました。弟は、

「そんなの、簡単さ。」

と答えました。

すると、兄は

「よーし。じゃあ、賭けをしよう。もし、お前があの娘を手に入れることができたなら、上下の衣服を譲ろう。それと、身の丈と同じ大きさの甕に満タンの酒と、国中の山海の珍味を取り揃えて、お馳走してやるぜ。」

と言いました。

弟は、兄の申し出をそのまま母に話しました。

すると、母は、一夜のうちに、藤の蔓で衣と褌と足袋、そして沓を縫い上げ、更に、弓矢も作ってくれました。

そして、弟にその衣を着せ、弓矢を持たせ、乙女の家に行かせました。すると、、、

その衣も弓矢も、全部が藤の花になりました。

春山之霞壯夫はその藤の花になった弓矢を乙女の家の厠に飾ました。

すると、伊豆志袁登賣は藤の花を不思議に思い、部屋に持ち帰りました。春山之霞壯夫は、その隙に、乙女の後から一緒に部屋に入り、まぐ合いました。そして、一人の子が生まれました。

春山之霞壯夫は、兄の秋山之下氷壯夫に

「兄さん、俺、伊豆志袁登賣を手に入れたぜ。約束の品を頂こうかな。」

と言いましたが、弟が伊豆志袁登賣と交わったことを妬んで、賭けの品を払いませんでした。

これに腹を立てた弟は、母に告げ口すると、母は、

「わたしたちの世の事は、すべて神の仕業に習うものです。なのに、この世の人の仕業に習ったのか。。。その物を償わないとは。。。」

と嘆いた。

母は兄を懲らしめようと、伊豆志河(いづしかは)の中ノ島の一節竹で八目の荒籠(やめのあらこ)を作り、伊豆志河の石に塩を混ぜ合わせたものを竹の葉に包み、詛言を言いました。

「この竹の葉の青むが如く、この竹の葉が萎えるように、青み萎えよ。また、潮の満干のように、この石が沈むように、病に臥せよ。

そしてそれを竈の上に置きました。すると、兄は八年間、やせ細り病気になりました。

兄は泣き悲しみ、母に許しを請いました。母が詛の物をもとに返したので、兄も元どおり元気になりました。

これが「神うれづく」の始まりです。

原文

故茲神之女、名伊豆志袁登賣神坐也。故八十神雖欲得是伊豆志袁登賣、皆不得婚。於是有二神、兄號秋山之下氷壯夫、弟名春山之霞壯夫、故其兄謂其弟「吾、雖乞伊豆志袁登賣、不得婚。汝得此孃子乎。」答曰「易得也。」爾其兄曰「若汝有得此孃子者、避上下衣服、量身高而釀甕酒、亦山河之物、悉備設、爲宇禮豆玖云爾。」自宇至玖以音。下效此。爾其弟、如兄言具白其母、卽其母、取布遲葛而布遲二字以音一宿之間、織縫衣褌及襪沓、亦作弓矢、令服其衣褌等、令取其弓矢、遣其孃子之家者、其衣服及弓矢、悉成藤花。

於是、其春山之霞壯夫、以其弓矢、繋孃子之厠。爾伊豆志袁登賣、思異其花、將來之時、立其孃子之後、入其屋卽婚。故、生一子也。爾白其兄曰「吾者得伊豆志袁登賣。」於是其兄、慷慨弟之婚以、不償其宇禮豆玖之物。爾愁白其母之時、御神答曰「我御世之事、能許曾此二字以音神習。又宇都志岐青人草習乎、不償其物。」恨其兄子、乃取其伊豆志河之河嶋一節竹而、作八目之荒籠、取其河石、合鹽而裹其竹葉、令詛言「如此竹葉青、如此竹葉萎而、青萎。又如此鹽之盈乾而、盈乾。又如此石之沈而、沈臥。」如此令詛、置於烟上。是以其兄、八年之間、于萎病枯。故其兄患泣、請其御神者、卽令返其詛戸。於是、其身如本以安平也。此者神宇禮豆玖之言本者也。

簡単な解説

兄弟喧嘩

このお話、同じような筋書きをどこかで、、、と思ったら、海幸彦・山幸彦とよく似てますね。弟が虐められて、兄に仕返しをする話ですもん。呪詛を仕掛けたり、潮の満ち引きを利用したり。

なぜ、この話が応神天皇記の最後に挿入されたのでしょうか。

血統の融合

一つは、前回の記事でも述べました通り、新羅(神功皇后)と大和王権(仲哀天皇)の血統の融合によって、応神天皇の特異性を担保したかったという側面があったのでしょう。

上つ巻の最後に、綿津見神(海神)の血統を融合して生まれ出た神武天皇が登場しました。

それと重なり合わせる形で、中つ巻のクロージングとして特異性を示しているのです。

王権の領土

もう一つは、次の仁徳天皇の御代が訪れるに際して、言い換えますと、中つ巻と下つ巻のジョイントとして、、、

海外に開かれた難波の津という地の重要性を示唆しつつ、王権の領土に新羅(朝鮮半島)が当たり前のように加わっていることを意識付けるための措置なんじゃないかなと考えました。

だってここまで、

邇邇芸命が降り立った場所は韓国が見える場所で、仲哀天皇記では新羅・百済を服従させ、応神天皇記では新羅・百済から渡来人がやってきた。

だから、仁徳治世は朝鮮半島が領土であることが前提のお話になるのです。

スポンサーリンク