15代応神天皇⑧|応神天皇の系譜・御陵

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応神天皇の御子達の系譜

現代語

応神天皇の御子の若野毛二俣王(わかのけふたまたの皇子 )が、母の妹の百師木伊呂辨(ももしきいろべ)、亦の名を弟日賣眞若比賣命(おとひめまわかひめの命)を娶って生まれた御子は、

  • 大郎子(おほいらつこ )、亦の名を意富富杼王(おほほどののみこ)
  • 忍坂之大中津比賣命(おしさかのおほなかつひめの命)
  • 田井之中比賣(たゐのなかつひめ)
  • 田宮之中比賣(たみやのなかつひめ)
  • 藤原之琴節郎女(ふぢはらのことふしのいらつめ )
  • 取賣王(とりめのみこ)
  • 沙禰王(さねのみこ )

の七柱です。

意富富杼王は、

  • 三國君(みくにのきみ)
  • 波多君(はたのきみ)
  • 息長坂君(おきながさかのきみ)
  • 酒人君(さかひとのきみ)
  • 山道君(やまみちのきみ)
  • 筑紫之末多君(つくしのめたのきみ)
  • 布勢君(ふせのきみ)

らの祖です。

根鳥王(とねりのみこ)異母妹)の三腹郎女(みはらのいらつめ)を娶って生まれた子は、

  • 中日子王(なかつひこのみこ)
  • 伊和嶋王(いわじまのみこ)

二柱です。

堅石王(かたしはのみこ)の子が

  • 久奴王(くぬのみこ)

です。

原文

又此品陀天皇之御子、若野毛二俣王、娶其母弟・百師木伊呂辨・亦名弟日賣眞若比賣命、生子、大郎子・亦名意富富杼王、次忍坂之大中津比賣命、次田井之中比賣、次田宮之中比賣、次藤原之琴節郎女、次取上賣王、次沙禰王。七王。故、意富富杼王者、三國君、波多君、息長坂君、酒人君、山道君、筑紫之末多君、布勢君等之祖也。又根鳥王、娶庶妹三腹郎女、生子、中日子王、次伊和嶋王。二柱。又堅石王之子者、久奴王也。

簡単な解説

特になしです。

 

天皇崩御

現代語

品陀天皇は130歳、甲午(きのえのうま)年九月九日に亡くなられ、御陵は川内惠賀之裳伏岡(かふちのゑがのもふしのおか)にあります。

原文

凡此品陀天皇御年、壹佰參拾歲。甲午年九月九日崩。御陵在川內惠賀之裳伏岡也。

簡単な解説

川内惠賀之裳伏岡

河内国の恵我の裳伏岡。羽曳野市誉田にある「誉田御廟山古墳」が応神天皇の御陵に治定されています。

近くには、14代仲哀天皇陵や白鳥御陵を始めとして大小多くの古墳が散在していて、古市古墳群を形成しています。

 

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