第十四代 仲哀天皇⑤|崩御と无火殯斂(ほなしあがり)

スポンサーリンク

天皇崩御と密葬

仲哀9年 (200年)

二月五日 天皇が急に御病気になられ、翌日に崩御されました。享年52歳でした。神のお言葉を信じなかったために、こんなにもすぐに亡くなったということが判りました。

ある話では、天皇は熊襲との戦いで賊の矢に当たって崩御されたとも伝わります。

皇后と”大臣”武内宿禰は、天皇の喪を隠し、天下に知らせませんでした。

皇后は、”大臣”および中臣烏賊津連(なかとみのいかつのむらじ)・大三輪大友主君(おほみわのおほともぬしのきみ)・物部膽咋連(もののべのいくひのむらじ)・大伴武以連(おほとものたけもつのむらじ)に詔して、

「今天下は、天皇がお隠れになったことを知らない。もし人民がこれを知れば、心が緩む者が出てくるだろう。」

とおっしゃり、四人の大夫に命じて、百寮を率いて宮中を守らせました。

このようにして、天皇の御屍を密やかに収めると、武内宿禰に預けて海路で穴門に遷しました。そして、豐浦宮で殯(もがり)を行いましたが、火を灯さずに殯を行う「无火殯斂」(ほなしあがり)としました。

同月二十二日 ”大臣”武内宿禰は穴門から戻り、皇后に復命申し上げました。

この年は、新羅征伐を行ったため、天皇を埋葬申し上げることができませんでした。

 原 文

九年春二月癸卯朔丁未、天皇、忽有痛身而明日崩、時年五十二。卽知、不用神言而早崩。一云「天皇親伐熊襲、中賊矢而崩也。」於是、皇后及大臣武內宿禰、匿天皇之喪、不令知天下。則皇后詔大臣及中臣烏賊津連・大三輪大友主君・物部膽咋連・大伴武以連曰「今天下、未知天皇之崩。若百姓知之、有懈怠者乎。」則命四大夫、領百寮令守宮中。竊收天皇之屍、付武內宿禰、以從海路遷穴門、而殯于豐浦宮、爲无火殯斂。无火殯斂、此謂褒那之阿餓利。甲子、大臣武內宿禰、自穴門還之、復奏於皇后。是年、由新羅役、以不得葬天皇也。

 ひとことメモ

殯とは、、、

「殯」(もがり)とは、古代に行われていた葬送儀式の中の一つです。

ご遺体を棺に入れて殯宮に仮安置し、故人を偲びつつ、その神霊を畏れ慰め(鎮魂)、蘇り(招魂)を祈る儀礼を、毎日毎日、生活を共にしながら行います。

そうする間に、ご遺体は腐敗し白骨化していき、遺族は愛する人の死を確認し、愛する人の死を受け入れるのだそうです。その期間、なんと3年を超えるとも。

でも、そうかもしれないですね。なんてったって前方後円墳のような大きな墳墓を造営しなければなりませんから。それぐらいの期間は必要だったのかも。

さて、現在では殯なんて行われていないと思いきや、実は今も行われているんです。皇室で。

昭和天皇の場合、殯の期間は50日。その間、ずっと24時間体制で「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」という儀礼が行われていたとのこと。

古代に比べると凄く短いですが、それでも50日間ですよ。

 

日本書紀巻第八 完

スポンサーリンク