日本書紀|第二十一代 雄略天皇②|兄達を殺したついでに葛城氏を滅ぼした

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八釣白彦皇子やつりのしろひこのみこ坂合黒彦皇子さかあいのくろひこのみこ

その日のうちに、大舍人おほとねり姓字は不明が早馬を飛ばして、雄略天皇に、

「安康天皇、眉輪王に殺されました!」

と報告しました。

雄略天皇は大変驚かれ、まずは兄たちを疑い、よろいを着け、刀を佩き、自ら兵を率いて、八釣白彦皇子やつりのしろひこのみこに詰問されました。しかし、八釣白彦皇子やつりのしろひこのみこはその姿を見て身の危険を感じて怖くなり、黙って座っておられたので、天皇は刀を抜いて斬り殺されました。

さらに、坂合黒彦皇子さかあいのくろひこのみこを詰問されました。この皇子もまた身の危険を感じて、黙って座っておられたので、天皇は怒りがどんどん込み上げてきました。

併せて眉輪王をも殺してしまおうと思い、なんで天皇を殺したのかその理由を尋問したところ、眉輪王は、

「私は、はじめから天位を望んでおりません。ただ、父の仇を討ちたかっただけです」

と答えられました。

円大臣つぶらのおほおみの邸宅に逃げ込む

坂合黒彦皇子さかあいのくろひこのみこは、疑われることを深く恐れて、密かに眉輪王と話をして、一緒に隙を見つけて円大臣つぶらのおほおみの宅に逃げ込まれました。

天皇は、二人の引き渡しを求める使いを遣わせましたが、円大臣つぶらのおほおみが言い返すに、

「人臣が、事が起こった時に王室に逃げ込むということは聞いたことはあれど、君王が臣舍に隠れるということなど、未だかつて見たことがありません。

確かに今、坂合黒彦皇子と眉輪王とは、私の心を深く頼みとして私の家に来ておられます。どうしてお二人を差し出すというような惨いことが出来ましょうや」

と言いました。

そんなことで、天皇はさらに兵を増強して大臣の宅を包囲しました。

 原 文

是日 大舍人 闕姓字也 驟言於天皇曰「穴穗天皇 爲眉輪王見殺 」天皇大驚 卽猜兄等 被甲帶刀 卒兵自將 逼問八釣白彥皇子 皇子見其欲害嘿坐不語 天皇乃拔刀而斬 更逼問坂合黑彥皇子 皇子亦知將害嘿坐不語 天皇忿怒彌盛

乃復幷爲欲殺眉輪王 案劾所由 眉輪王曰「臣元不求天位 唯報父仇而已 」坂合黑彥皇子 深恐所疑 竊語眉輪王 遂共得間而出逃入圓大臣宅

天皇使々乞之 大臣以使報曰「蓋聞人臣有事逃入王室 未見君王隱匿臣舍 方今 坂合黑彥皇子與眉輪王 深恃臣心 來臣之舍 詎忍送歟 」由是天皇 復益興兵 圍大臣宅

 ひとことメモ

3人のターゲット

皇位継承者のうちの3人がターゲットとされました。八釣白彦皇子やつりのしろひこのみこ坂合黒彦皇子さかあいのくろひこのみこ眉輪王まよわおうの3人です。

円大臣つぶらのおほおみ

円大臣つぶらのおほおみは、葛城円かつらぎのつぶらといい、葛城氏の祖である葛城襲津彦の孫です。武内宿禰の曾孫にあたります。

先帝の允恭天皇紀では、父の玉田宿禰たまたのすくねが誅殺されました。そして今、その子の葛城円かつらぎのつぶらが雄略天皇により殺されました。

仁徳天皇が葛城襲津彦の娘である磐之媛を皇后としてから、朝廷内で強権を振るってきた葛城氏も、いよいよ終わりの時が近づいてきたようですね。

 

円大臣つぶらのおほおみの最期

円大臣は庭に立ち出でて、脚帯あよひを求めると、大臣の妻が脚帯あよひを持ってきて、悲しみのあまり心を痛めて、詠んだ歌

おみのこは たへのはかまを ななへをし にはにたたして あよひなだすも

臣の子は 楮の袴を 七重着し 庭に立たして 脚帶なだすも

私の夫の大臣は、こうぞの袴を 七重にお召しになられ、庭にお立ちになり、脚絆を撫でておられます

大臣は装束を整え終わると、天皇軍の前に進み、ひざまずいて、

「私は殺されようとも、ご命令を聞き入れることは致しません。昔の人が、匹夫といえども、その志を奪うのは難しいと言ったのは、今の私のことをいうのでしょう。

大王に伏してお願い申し上げます。私の娘の韓媛からひめと葛城の七か所の家を献上いたしますので、罪を免じていただけませんでしょうか」

と申し上げました。

天皇は許さず、家に火を放ちまし。これによって、大臣と黒彦皇子と眉輪王は焼け死にました。このとき、坂合部連贄宿禰にへのすくねは、皇子の屍を抱いたまま焼き殺されました。

舍人ら名字は不明は、焼け跡を片付けましたが、遺骨をより分けることもできず、一つの棺に入れ、新漢いまきのあや擬本つきもとの南の丘 擬の字は定かではないが、槻(つき=ケヤキ)だろう に合葬しました。

 原 文

大臣出立於庭索脚帶 時大臣妻 持來脚帶 愴矣傷懷而歌曰

飫瀰能古簸 多倍能波伽摩鳴 那々陛鳴絁 爾播爾陀々始諦 阿遙比那陀須暮

大臣 裝束已畢 進軍門跪拜曰「臣雖被戮 莫敢聽命 古人有云匹夫之志難可奪 方屬乎臣 伏願大王 奉獻臣女韓媛與葛城宅七區 請以贖罪 」天皇不許 縱火燔宅 於是 大臣與黑彥皇子眉輪王倶被燔死 時坂合部連贄宿禰 抱皇子屍而見燔死 其舍人等 闕名 收取所燒 遂難擇骨 盛之一棺 合葬新漢本南丘 字未詳 蓋是槻乎

 ひとことメモ

葛城円の邸宅跡

奈良県御所市大字極楽寺の小高い丘の上から、古代の館跡が発見されました。ここを極楽寺ヒビキ遺跡と呼びます。

北と南は深い谷で、東は急な崖。天然の要害となっています。また、石が敷き詰められた濠で囲まれ、さらに塀で囲まれていたといいます。

焼けて赤茶けた土、地中には黒く焦げた柱など、建物全体にそうした痕跡があり、その焼け方から、単なる火事ではなく故意に焼かれた可能性が高いとのこと。

そうしたことから、葛城円の邸宅ではないかと言われています。

 

政敵を駆逐

このように、皇位を争う可能性がある3人の皇子と、目の上のタンコブ的存在の葛城氏を駆逐することに成功しました。

雄略天皇、おそるべし!ですな。

残すところ、あと2人。履中天皇の皇子である市辺押磐皇子いちのへのおしはのみこ御馬皇子みまのみこです。

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