日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉑|大工の棟梁 闘鶏御田(つげのみた)

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名匠 ”闘鶏御田”つげのみた

雄略12年 戊申つちのえのさる 468

四月四日 身狭村主靑むさのすぐり あお檜隈民使博徳ひのくまのたみのつかい はかとこを呉国に遣わしました。

 

十月十日 木工このたくみ闘鶏御田つげのみたに命じて、 ある書には、猪名部御田いなべのみたと伝わりますが、これは、それは恐らく間違いでしょう 初めて楼閣たかどのを造らせました。

御田は楼閣に登って、四方八方を走り回り、まるで空を飛んでいるようでした。時に伊勢の采女が楼閣の上を仰ぎ見て、その素早さに驚いて庭に転んで、捧げ持っていたみけつものをひっくり返してしまいました。みけつものは、御膳のものです。

天皇は、御田が采女をおかそうとしたのだと疑われて、御田を処刑しようと思われ物部に引き渡しました。

この時に、秦酒公はたのさけのきみが近くいて、琴の調べで天皇をお諌めしようと思い、琴を弾きながら詠んだ歌。

かむかぜの いせの いせののの さかえを いほふるかきて しがつくるまでに おほきみに かたく つかへまつらむと わがいのちも ながくもがと いひしたくみはや あたらたくみはや

神風の 伊勢の 伊勢の野の 栄枝を 五百振る析きて 其が尽くるまでに 大君に 堅く 仕へ奉らむと 我が命も 長くもがと 言ひし工匠はや あたら工匠はや

伊勢の国の、伊勢の野の よく茂った枝を、たくさん切り取り それが無くなるまで 天皇に 固くお仕えしようと、自分の命も長くあってほしい と言っていた匠だよ 何と惜しい匠よ

天皇は、この琴の歌を聞いて悟られて、その罪をお許しになられました。

 原 文

十二年夏四月丙子朔己卯 身狹村主靑與檜隈民使博德 出使于吳 冬十月癸酉朔壬午 天皇 命木工鬪鶏御田 一本云「猪名部御田」蓋誤也 始起樓閣 於是 御田登樓 疾走四面 有若飛行 時有伊勢采女 仰觀樓上 怪彼疾行 顚仆於庭 覆所擎饌 饌者 御膳之物也 天皇 便疑御田姧其采女 自念將刑而付物部 時秦酒公 侍坐 欲以琴聲使悟於天皇 横琴彈曰

柯武柯噬能 伊制能 伊制能奴能 娑柯曳鳴 伊裒甫流柯枳底 志我都矩屢麻泥爾 飫裒枳瀰爾 柯拕倶 都柯陪麻都羅武騰 倭我伊能致謀 那我倶母鵝騰 伊比志拕倶彌皤夜 阿拕羅陀倶彌皤夜

於是天皇 悟琴聲而赦其罪

 ひとことメモ

闘鶏御田つげのみた

大工の棟梁として登場した闘鶏御田つげのみた。闘鶏は、今の天理市福住から奈良市都祁村にかけての地域とされています。奈良の東に広がる山中です。仁徳天皇紀に闘鶏つげの氷室で登場しました。そこらへんの出身なのでしょう。

楼閣の上を四方八方に走りまわっていたということですから鳶職もできる棟梁ということになりましょうか。

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