22代清寧天皇①|意祁命と袁祁命の兄弟を発見!

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清寧天皇の宮・后妃皇子女

現代語

雄略天皇の御子の白髮大倭根子命(しらかのおほやまとねこのみこと)は、伊波禮之甕栗宮(いはれのみかくりのみや)を都として、天下を治められました。

天皇には皇后も御子もいらっしゃいませんでした。その為、御名代として白髮部(しらかべ)を定められました。

この為、天皇が崩御された後、天下を治める御子がいなかったので、日継の御子を探したところ、市邊忍齒別王(いちのへのおしはわけのみこ )の妹の忍海郎女(おしぬみのいらつめ)、またの名を飯豐王(いひどよのひめみこ)が葛城忍海の高木角刺宮(たかきのつのさしのみや)で、天下をお治めになりました。

原文

御子 白髮大倭根子命 坐伊波禮之甕栗宮 治天下也 此天皇 無皇后 亦無御子 故 御名代定白髮部

故 天皇崩後 無可治天下之王也 於是問日繼所知之王 市邊忍齒別王之妹 忍海郎女 亦名飯豐王 坐葛城忍海之高木角刺宮也

簡単な解説

白髮大倭根子命(しらかのおほやまとねこのみこと)

雄略天皇が、皇位継承争いに乗じて誅殺した葛城円の娘「韓比賣」を娶って生まれた皇子です。

その名の通り生まれながらにして白髪だったため、雄略天皇が神威を感じて皇太子にしたといいます。

アルビノだった可能性もありますね。

伊波禮之甕栗宮(いはれのみかくりのみや)

甕栗宮の伝承地は、奈良県橿原市東池尻町の御厨子神社だそうです。

市邊忍齒別王(いちのへのおしはわけのみこ )

市辺忍歯別王は、17代履中天皇の皇子です。

皇位継承権を確固たるものにしようとしていた大長谷王(20代雄略天皇)によって謀殺されましたが、その殺され方は残虐極まるものでした。

それを聞いた2人の御子は、恐れて播磨に逃げました。

その2人の御子が、この後に登場します。お楽しみに。

飯豊王(いひどよのひめみこ)

17代履中天皇の皇女、青海郎女(あをみのいらつめ)のことです。ですので、上項の市辺忍歯別王の妹となりましょう。

22代清寧天皇と23代顕宗天皇をつなぐスポット的存在として描かれていますが、しっかりと執務を行っていたようで、

現在の宮内庁では、歴代天皇には数えないが天皇の称号をつけて「飯豊天皇」とされています。いわゆる「不即位天皇」の位置づけですね。

高木角刺宮(たかきのつのさしのみや)

その飯豊天皇の宮「角刺宮」の伝承地は、奈良県葛城市忍海の角刺神社だそうですよ。

意祁命と袁祁命

現代語

山部連の小楯(おたて)が針間国の宰(みこともち)であった時、その国の志自牟(しじむ)という人の新築祝いに出向きました。

宴たけなわで、酒がすすみ、皆が順番で舞を披露しておりました。

竈のそばに火焚きの少年が2人居て、その子供にも舞わせることとなりました。

少年の一人が

「お兄さんから舞ってください」

と言うと、兄も

「おまえから先に舞えよ」

と言って、互いに譲り合ったので、その様子を見て皆がおかしがりました。

結局、兄が先に舞い、次に弟が舞う時に、歌を詠むようにこう言いました。

武士である わが君の 佩きし大刀に、
赤い模樣を書き、その大刀の緒には赤い織物をって附け、
立って見やれば、向うに隱れる山の尾の上の竹を刈り取って、
その竹の末を押しかせるように、八絃の琴を調べたように、
天下をお治めなされた伊邪本和氣の天皇の皇子である
市邊之押齒王の王の御子です。わたくしは。

これを聞いた小楯は、驚いて床に転がり落ちました。そして、部屋にいた人たちを追い出し、その2人の王子を左右の膝に乗せて、泣き悲しみました。

小楯は人民を集めて仮宮を作り、2人をその仮宮に住まわせ、早馬で都に報告しました。

高木角刺宮にいた、2人の叔母である飯豊王(いひどよのひめみこ)は、これを聞き大変喜び、2人を宮に呼び寄せました。

原文

爾山部連小楯 任針間國之宰時 到其國之人民 名志自牟之新室樂 於是盛樂 酒酣以次第皆儛 故 燒火少子二口 居竈傍 令儛其少子等 爾其一少子曰 汝兄先儛 其兄亦曰 汝弟先儛 如此相讓之時 其會人等 咲其相讓之狀 爾遂兄儛訖 次弟將儛時 爲詠曰

物部之 我夫子之 取佩 於大刀之手上 丹畫著 其緖者 載赤幡 立赤幡 見者五十隱 山三尾之 竹矣訶岐此二字以音苅 末押縻魚簀 如調八絃琴 所治賜天下 伊邪本和氣天皇之御子 市邊之押齒王之 奴末

爾卽小楯連聞驚而 自床墮轉而 追出其室人等 其二柱王子 坐左右膝上 泣悲而 集人民作假宮 坐置其假宮而 貢上驛使 於是其姨飯豐王 聞歡而 令上於宮

簡単な解説

山部連の小楯

もともとの名前は、伊予来目部小楯(いよのくめべのおだて)でした。

播磨の国司として赴任中に、2人の皇子を発見。この功績により、山官(やまのつかさ)に任ぜられ、山部の氏(うじ)と、連(むらじ)の姓を与えられました。大出世です。

伊邪本和氣の天皇

17代履中天皇のことです。

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