22代清寧天皇②|平群志毘との歌垣

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志毘臣との歌垣

現代語

天皇が、まだ天下をお治めになる前のこと。

平群臣(へぐりのおみ)の祖の志毘臣(しびのおみ)が、歌垣の時に、袁祁命(をけのみこと)が娶ろうとした乙女の手を先に取りました。

その乙女は菟田首(うだのおびと)らの娘の大魚(おほうを)といいます。

そこで、袁祁命も歌垣に参加しました。

そこで、志毘臣の歌は、

宮殿の、遠い端の方の隅が傾いています

この歌の下の句を作くるように促されて、袁祁命が詠んだ歌は、

下手な大工が作ったから、隅が傾いているのだ

志毘臣がまた歌うに、

あなたの気持ちが緩んでいるから、臣下たちは八重垣の中に入らないだろう

王子がまた歌うに

潮の流れの速いところで、折り重なる波を見れば、
遊びに来た鮪(しび=マグロ)がいるが、
私の妻は立って見ているだけだ

志毘臣が腹を立てて歌った歌は、

皇子さまの宮殿の 数多く縛られた柴垣は
周囲をしっかり囲った柴垣だけど、
やがて切れる柴垣 燃えてしまう柴垣さ

王子がまた歌うに、

大きな魚の鮪(しび)を突く海人よ
取り逃がした日にゃあ心恋しいだろうよ
鮪(しび)突く志毘臣(しび)よ

このように歌合戦で悪口を言い合い、夜を明かして、お戻りになられました。

翌朝、意祁命(おけのみこと)と袁祁命(をけのみこと)の二人で相談しました。

「朝廷の役人は、朝は宮に出てくるが、夜は志毘の家に集まります。なので、今なら志毘はきっと寝ているでしょうし、門番もいないでしょう。謀り事は今しかないでしょう。」

と決め、軍を起こして志毘臣の家を取り囲み、志毘臣を誅殺されました。

原文

故 將治天下之間 平群臣之祖 名志毘臣 立于歌垣 取其袁祁命將婚之美人手 其孃子者 菟田首等之女 名大魚也 爾袁祁命亦立歌垣 於是志毘臣歌曰

意富美夜能 袁登都波多傳 須美加多夫祁理

如此歌而 乞其歌末之時 袁祁命歌曰

意富多久美 袁遲那美許曾 須美加多夫祁禮

爾志毘臣 亦歌曰

意富岐美能 許許呂袁由良美 淤美能古能 夜幣能斯婆加岐 伊理多多受阿理

於是王子 亦歌曰

斯本勢能 那袁理袁美禮婆 阿蘇毘久流 志毘賀波多傳爾 都麻多弖理美由

爾志毘臣愈忿 歌曰

意富岐美能 美古能志婆加岐 夜布士麻理 斯麻理母登本斯 岐禮牟志婆加岐 夜氣牟志婆加岐

爾王子 亦歌曰

意布袁余志 斯毘都久阿麻余 斯賀阿禮婆 宇良胡本斯祁牟 志毘都久志毘

如此歌而 鬪明各退 明旦之時 意祁命 袁祁命二柱議云 凡朝廷人等者 旦參赴於朝廷 晝集於志毘門 亦今者 志毘必寢 亦其門無人 故 非今者難可謀 卽興軍圍志毘臣之家 乃殺也

簡単な解説

志毘臣

平群 鮪(へぐりのしび)ともいいます。

父親は平群真鳥(へぐりのまとり)といい、雄略・清寧・顕宗・仁賢と4代に渡って大臣を務めた最高執政者で、大王家をも凌ぐ勢いであったといいます。

ですから子の志毘(鮪)も、横柄な物言いをするのでしょう。

歌垣

若い男女がお互いに歌を掛け合い、対になって恋愛関係を結ぶ行事らしいです。おそらく、この恋愛関係を結ぶというのは、「交わる」という意味なのでしょう。

この袁祁命と志毘臣が参加した歌垣は「海石榴市(つばいち)」で行われたらしいです。

現在の桜井市大字金屋にありました。

 

皇位の議論

現代語

その後、二人の王子は互いに皇位を譲り合われました。

意祁命が弟の袁祁命に、

「針間の志自牟の家で、お前が身分を明かしていなければ、天下を治める者とはならなかっただろう。これは、お前の功績だ。私は兄ではあるが、まずは、お前が天下を治めるべきだと思う。」

と言って、強く譲られました。そのお心が固かったので、袁祁命は辞退できずに、天下を治められました。

原文

於是二柱王子等 各相讓天下 意祁命讓其弟袁祁命曰 住於針間志自牟家時 汝命不顯名者 更非臨天下之君 是既汝命之功 故 吾雖兄猶汝命先治天下而 堅讓 故 不得辭而 袁祁命先治天下也

簡単な解説

兄弟で皇位を譲り合うというと、応神天皇の皇子である大雀命と宇遅能和紀郎子 を思い出します。

大雀命(16代仁徳天皇)と宇遅能和紀郎子の場合は、譲り合ったというのは作り話で、実際は大雀命が宇遅能和紀郎子を暗殺したのではないかと噂されているのですが、

こちらの意祁命と袁祁命の兄弟の場合は、どうだったのでしょうか。興味深いところです。

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