33代推古天皇

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推古天皇の宮・后妃皇子女

現代語

長谷部若雀天皇の妹の豐御食炊屋比賣命(とよみけかしきやひめのみこ)が小治田宮(をはりだのみや)に都を定めて、天下を治められたのは37年です。

天皇は戊子年三月十五日癸丑(みづのとのうし)の日に崩御されました。御陵は大野岡上(おほののをかのうえ)にありましたが、後に科長大陵(しながのおほみささぎ)に改葬申し上げました。

原文

妹 豐御食炊屋比賣命 坐小治田宮 治天下參拾漆歲 戊子年三月十五日癸丑日崩 御陵在大野岡上 後遷科長大陵也

簡単な解説

小治田宮(をはりだのみや)

日本書紀には、豊浦宮で即位され、そののちに小治田宮に遷宮されたとあります。

豊浦宮は甘樫丘の北、甘樫坐神社のあたりにあったとされています。

小治田宮については、長らく豊浦宮の北にその伝承地がありましたが、最近の発掘調査によって、雷丘東方遺跡が小治田宮であるという説が有力となっています。

科長大陵(しながのおほみささぎ)

先代、先々代に続いて、大阪府南河内郡太子町の「王陵の谷」こと磯長谷にある「山田高塚古墳」が推古天皇陵に治定されています。

大野岡上にあったとされる改葬前の御陵は、橿原市五条野町の「植山古墳」らしいですよ。

古事記下巻  完 

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