11代垂仁天皇①|都と后妃と皇子女

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垂仁天皇の宮と后妃皇子女

現代語

垂仁天皇(伊久米伊理毘古伊佐知命:イクメイリビコイサチの命)は師木玉垣宮(しきのたまがきのみや)に都を定めて、天下を治められました。

天皇が沙本毘古命(サホビコの命)の妹の佐波遲比賣命(サハヂヒメの命)を娶って生まれた御子は、

  • 品牟都和氣命(ホムツワケの命)の一人でした。

旦波比古多多須美知宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシの皇子)の娘の氷羽州比賣命(ヒハスヒメの命)を娶って生まれた御子は、

  • 印色之入日子命(イニシキノイリヒコの命)
  • 大帶日子淤斯呂和氣命(オホタラシヒコオシロワケの命)
  • 大中津日子命(オホナカツヒコの命)
  • 倭比賣命(ヤマトヒメの命)
  • 若木入日子命(ワカキイリヒコの命)

の五人です。

その氷羽州比賣命の妹の沼羽田之入毘賣命(ヌバタノイリビメの命)を娶って生まれた御子は、

  • 沼帶別命(ヌタラシワケの命)
  • 伊賀帶日子命(イガタラシヒコの)

の二人です。

その沼羽田之入日賣命の妹の阿邪美能伊理毘賣命(アザミノイリビメの命)を娶って生まれた御子は、

  • 伊許婆夜和氣命(イコバヤワケの命)
  • 阿邪美都比賣命(アザミツヒメの命)

の二人です。

大筒木垂根王(オホツツキタリネの皇子)の娘の迦具夜比賣命(カグヤヒメの命)を娶って生まれた御子は、

  • 袁邪辨王(ヲザベの皇子)の一人です。

山代大國之淵(ヤマシロノオホクニノフチ)の娘の苅羽田刀辨(カリハタトベ)を娶って生まれた御子は、

  • 落別王(オチワケの皇子)
  • 五十日帶日子王(イカタラシヒコの皇子)
  • 伊登志別王(イトシワケの皇子)

です。

その大國之淵の娘の弟苅羽田刀辨(オトカリハタトベ)を娶って生まれた御子は、

  • 石衝別王(イハツクワケの皇子)
  • 石衝毘賣命(イハツクビメの命)、亦の名は布多遲能伊理毘賣命(フタヂノイリビメの命)二人でした。

このように、天皇の御子は、男十三人 女三人の合計十六人です。

次の天下は、氷羽州比賣命(比婆須比賣命)との間に生まれた第一子である、大帶日子淤斯呂和氣命が治められました。

ちなみに、この御子の身長は一丈二寸、脛(すね)の長さは四尺一寸もございました 。

原文

伊久米伊理毘古伊佐知命、坐師木玉垣宮、治天下也。此天皇、娶沙本毘古命之妹・佐波遲比賣命、生御子、品牟都和氣命。一柱。又娶旦波比古多多須美知宇斯王之女・氷羽州比賣命、生御子、印色之入日子命印色二字以音、次大帶日子淤斯呂和氣命自淤至氣五字以音、次大中津日子命、次倭比賣命、次若木入日子命。五柱。又娶其氷羽州比賣命之弟・沼羽田之入毘賣命、生御子、沼帶別命、次伊賀帶日子命。二柱。

又娶其沼羽田之入日賣命之弟・阿邪美能伊理毘賣命此女王名以音、生御子、伊許婆夜和氣命、次阿邪美都比賣命。二柱。此二王名以音。又娶大筒木垂根王之女・迦具夜比賣命、生御子、袁邪辨王。一柱。又娶山代大國之淵之女・苅羽田刀辨此二字以音生御子、落別王、次五十日帶日子王、次伊登志別王。伊登志三字以音。又娶其大國之淵之女・弟苅羽田刀辨、生御子、石衝別王、次石衝毘賣命・亦名布多遲能伊理毘賣命。二柱。凡此天皇之御子等、十六王。男王十三、女王三。

故、大帶日子淤斯呂和氣命者、治天下也。御身長、一丈二寸、御脛長、四尺一寸也。

簡単な解説

師木玉垣宮

日本書紀によると、纒向の珠城宮(まきむくのたまきのみや)とも。

国道169号線から穴師坐兵主神社や相撲神社に上がっていく道に入って200m地点にあります。

沙本毘古命・佐波遲比賣命

開化天皇の孫とその妹。垂仁天皇とは従兄妹の間柄です。

この佐波遲比賣命は垂仁天皇の皇后でありながら、この後、兄の沙本毘古命に誘われて謀反を起こし、悲劇的な最期を遂げます。覚えておいてください。

印色之入日子命

景行天皇の同母兄です。次の垂仁天皇②で、事績が紹介されています。

大帶日子淤斯呂和氣命

12代景行天皇です。日本武尊のお父さんです。

石衝毘賣命

14代仲哀天皇の母となる人です。

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