10代崇神天皇③|将軍の派遣と建波邇安王の謀反

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将軍の派遣

現代語

また崇神天皇の御世に、大毘古命(オホビコの命)を高志道(北陸道)に派遣し、その子の建沼河別命(タケヌナカハワケの命)を東方十二道(東海道)に派遣して、従わない人々を平定させ、

また、日子坐王(ヒコイマスの王子)を旦波國(丹波)に派遣し、玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を誅殺させました。

これらにより、朝廷の勢力は大きく拡大しました。

 

そんな中、前述の大毘古命が、高志國に赴く途中のお話です。

大毘古命が平城山を越えて、山代の幣羅坂(へらさか)にさしかかったとき、少女が坂に立って歌を詠っています。

 

御眞木入日子さま

御眞木入日子さま

己が命を秘かに取ろうと

背の戸から行ったり来たり

前の戸から行ったり来たり

窺っていること知らずとは

御眞木入日子よ

 

大毘古命は不思議に思い、馬を返して少女に尋ねました。

「そなたが歌ったのは、どうゆう意味なのだ?」

「私は何も言ってませんよ。ただ歌を唄っただけですよ。」

と答えるや、忽然と消えてしまいました。

原文

又此之御世、大毘古命者、遣高志道、其子建沼河別命者、遣東方十二道而、令和平其麻都漏波奴自麻下五字以音人等。又日子坐王者、遣旦波國、令殺玖賀耳之御笠。此人名者也。玖賀二字以音。故、大毘古命、罷往於高志國之時、服腰裳少女、立山代之幣羅坂而歌曰、

美麻紀伊理毘古波夜 美麻紀伊理毘古波夜 意能賀袁袁 奴須美斯勢牟登 斯理都斗用 伊由岐多賀比 麻幣都斗用 伊由岐多賀比 宇迦迦波久 斯良爾登 美麻紀伊理毘古波夜

於是、大毘古命思恠、返馬、問其少女曰「汝所謂之言、何言。」爾少女答曰「吾勿言、唯爲詠歌耳。」卽不見其所如而忽失。

簡単な解説

幣羅坂

師木水垣宮から上ツ道を北上し、奈良坂・平城山を越えて京都府に入ったところが幣羅坂です。現在の京都府と奈良県の境目です。

ちなみに、奈良坂には国境食堂という食堂があり、ここのトンカツがとてもデカイのです。

そんなことはどうでもいいのです。

謎の少女

忽然と消えた謎の少女。古代、神は穢れを知らない少女(乙女)を依代として託宣をしたそうです。まさに、この時、少女に神が降りて緊急事態を伝えたのでしょう。

その場所には、今、幣羅坂神社があります。祭神は天津少女命(あまつおとめ)大毘古命。歌を詠っていた少女が祀られているのです。

神聖な場所には神社があるのです。

御眞木入日子

崇神天皇のことです。

 

建波邇安王の謀反

現代語

そこで、大毘古命は都に引き返し、天皇に報告しました。

天皇は、

「これは思うに、山代国(やましろのくに)にいる、そなたの庶兄(異母兄)の建波邇安王(タケハニヤスの王子)が、謀反を起こそうとしているということであろう。伯父上、今すぐ軍を興して征伐せよ。」

と仰せられ、丸邇臣(わにのおみ)の祖である日子國夫玖命(ヒコクニブクの命)を副えて派遣されました。

そこで、大毘古命は丸邇坂(わにさか)忌瓮(いはひへ:清浄な器)を置いてお祀りをしてから出陣しました。

山代の和訶羅河(わからがわ)に着いた時、建波邇安王の軍が待ち構えていました。

ちなみに、その川を挟んで両軍が挑み合ったので、この地を伊杼美(いどみ)と呼ばれ、今は伊豆美(いづみ)といいます。

原文

故大毘古命、更還參上、請於天皇時、天皇答詔之「此者爲、在山代國我之庶兄建波邇安王、起邪心之表耳。波邇二字以音。伯父、興軍宜行。」卽副丸邇臣之祖・日子國夫玖命而遣時、卽於丸邇坂居忌瓮而罷往。於是到山代之和訶羅河時、其建波邇安王、興軍待遮、各中挾河而、對立相挑、故號其地謂伊杼美。今謂伊豆美也。

簡単な解説

丸邇坂(わにさか)

師木水垣宮から山代への行軍は、上ツ道を通って北上したことでしょう。副将である日子國夫玖命の本拠、今の天理の櫟本あたりを通ることになります。

櫟本交差点の少し東、昔の竜田道と上ツ道の交わる地点に和邇坂下神社があります。

おそらくはこのあたりに、神具を置いて、戦勝祈願を行ったのではないでしょうか。

そういう聖地だからこそ、今も神社があるのですよ。きっと。

忌瓮(いわいへ)

辞書で調べると、神に供えるための忌み清めた容器、神酒(みき)を盛るための素焼きの壷とあります。

和訶羅河(わから河)

ワカ(曲)カハハラ(河原)をくっつけて、大きく湾曲した河原の川という意味でしょうか。

現在の木津川を指します。

伊杼美(いどみ)

上ツ道を北上すると、木津川が西から北へと大きく流れを変える地点に出ます。現在の泉大橋のあたりでしょうか。

しかし、当時は湿地帯だったと考えられます。そこで、すこし東へ行った鹿背山の麓に陣を置いたのではないかと思います。

戦国時代の「山崎の合戦」における天王山と男山のように、両岸に山と山が迫った場所の方が、軍勢が対峙するに相応しい場所だと思ったりもしますよね。

となれば、加茂町法花寺野のあたりではないかと勝手に想像しております。

 

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