11代垂仁天皇⑥|話せるようになった本牟智和氣命の奇跡

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本牟智和氣命の奇跡

現代語

本牟智和氣御子一行は、出雲に着き、出雲の大神を参拝しました。

お帰りになられる時、肥河(ひのかわ)に黒い橋を掛けて仮の宮を作り、お留まりになりました。

出雲國造の祖の岐比佐都美(キヒサツミ)が、青葉で青葉山を作り肥河の川下に立てて、本牟智和氣御子を接待しようとしたとき、

それを見た本牟智和氣御子(ホムチワケの皇子)が、

「川下に見える青葉の山は、山のように見えるが、山ではないようだな。

出雲の石の曾の宮(いづものいはのそのみや)に鎮まっておられる葦原色許男大神(アシハラシコヲの大神)をお祀りする祭壇ではなかろうか。」

なんと、言葉を発したではありませんか!

お供の皇子らは、それを聞いて喜び、見て喜び、御子を檳榔の長穗宮(あぢまさのながほのみや)にお連れしまし、天皇へ早馬を出しました。

 

話が出来るようになった本牟智和氣御子は、出雲で、肥長比賣(ヒナガヒメ)と一夜を共にされました。

姫をこっそり覗き見すると、大蛇でした。御子は驚いて畏れて、逃げ出しました。

肥長比賣は恥をかかされたと、海原を照らして、船で追いかけてきます。

それを見た御子はますます恐れて、山の峠から御船を引き越して逃げ上りました。

そんなことをしている間に、早馬が大和に到着し、天皇に「出雲大神を参拝したので、御子はお話しすることができるようになられましたので、ご報告に戻りました」と奏上しました。

天皇は大変喜ばれて、直ぐに菟上王を出雲に戻し、出雲の大神のために神宮(かむのみや)を造らせました。

また、天皇は御子のために、鳥取部(ととりべ)・鳥甘部(とりかひべ)・品遲部(ほむぢべ)・大湯坐(おとゆゑ)・若湯坐(わかゆゑ)を定めました。

原文

故到於出雲、拜訖大神、還上之時、肥河之中、作黑巢橋、仕奉假宮而坐。爾出雲國造之祖・名岐比佐都美、餝青葉山而立其河下、將獻大御食之時、其御子詔言「是於河下、如青葉山者、見山非山。若坐出雲之石之曾宮、葦原色許男大神以伊都玖之祝大廷乎。」問賜也。

爾所遣御伴王等、聞歡見喜而、御子者坐檳榔之長穗宮而、貢上驛使。爾其御子、一宿婚肥長比賣。故、竊伺其美人者、蛇也、卽見畏遁逃。爾其肥長比賣患、光海原、自船追來。故、益見畏以自山多和此二字以音引越御船、逃上行也。於是覆奏言「因拜大神、大御子物詔、故參上來。」故、天皇歡喜、卽返菟上王、令造神宮。於是天皇、因其御子、定鳥取部・鳥甘部・品遲部・大湯坐・若湯坐。

簡単な解説

長穂の宮

伝承地が出雲市所原町城山にあります。現在そこには富能加(ほのか)神社が鎮座していて、祭神は 本牟智和氣命肥長比賣です

肥長比賣

おそらく、出雲を流れる大河「斐伊川」を神格化したものと思います。八岐大蛇もそうでした。斐伊川は暴れ川で、それはそれは恐ろしい川だったのでしょう。

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