第一段 一書 (1)~(6)|天地開闢と三神の誕生(異伝)

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第一段 一書 その1

ある書では、こう伝えています。

天と地が分かれ始めたとき、その空間に一つの物がありました。その形は表現しにくいものでした。

その中で自然に神が化成しました。国常立尊(くにのとこたちの尊)とおっしゃいます。亦の名を国底立尊(くにのそこたちの尊)ともおっしゃいます。

次に、国狭槌尊(くにのさつちの尊)とおっしゃいます。
または、国狭立尊(くにのさたちの尊)ともおっしゃいます。

次に、豊国主尊(とよくにぬしの尊)とおっしゃいます。
または、豊組野尊(とよくみのの尊)、豊香節野尊(とよかぶのの尊)、浮経野豊買尊(うかぶののとよかふの尊)、豊国野尊(とよくにのの尊)、豊齧野尊(とよかぶのの尊)、葉木国野尊(はこくにのの尊)、見野尊(みのの尊)とおっしゃいます。

原文

一書曰、天地初判、一物在於虛中、狀貌難言。其中自有化生之神、號国常立尊、亦曰国底立尊。次国狹槌尊、亦曰国狹立尊。次豊国主尊、亦曰豊組野尊、亦曰豊香節野尊、亦曰浮經野豊買尊、亦曰豊国野尊、亦曰豊囓野尊、亦曰葉木国野尊、亦曰見野尊。

簡単な解説

ここでは、「天地が分かれたら、そこに何かがあった」といっています。

現れた神は、本文と同じですが、亦の名が多い多い。全国各地に、それぞれの口承が伝わっていたということでしょう。

第一段一書 その2

ある書では、こう伝えています。

大昔、国も土地も生まれたばかりで幼いころは、例えると、脂が水に浮かんでいるような状態でした。

ある時、その国の中に物が生まれました。その形は葦の芽が芽吹いたようなものです。

そこから化成した神がありました。可美葦牙彥舅尊(うましあしかびひこぢの尊)とおっしゃいます。

次に国常立尊、次に国狭槌尊とおっしゃいます。

(葉木国は「はこくに」、可美は「うまし」と読みます)

原文

一書曰、古、国稚地稚之時、譬猶浮膏而漂蕩。于時、国中生物、狀如葦牙之抽出也。因此有化生之神、號可美葦牙彥舅尊。次国常立尊。次国狹槌尊。葉木国、此云播舉矩爾。可美、此云于麻時。

簡単な解説

ここでは、水に脂が浮かんでいると表現しています。この比喩もなかなかのものです。

可美葦牙彥舅尊

そして、葦の芽のようなものから可美葦牙彥舅尊が現れました。この神が最初の神としています。

「うまし あしかび ひこぢ」=「すばらしい 葦の芽 の男」と訳せます。まさに、葦の芽の生命力を神格化した神です。

ちなみに、葦の根元には泥がたまりやすく分解が促進されるらしいです。だから魚が寄ってきて、いい漁場にもなるし、葦原を刈り取ると農耕地としても適しているらしいです。

豊かな大地を支える神に相応しい神名であると言えましょう。

国と地

「国も地も生まれたばかりで幼い」とあります。天と地ではなく、国と地。

これはいかに?

第一段一書 その3

ある書では、こう伝えています。

天と地が混じり合ってっていたとき、初めに神人がおられました。その名を可美葦牙彥舅尊(うましあしかびひこぢの尊)とおっしゃいます。次に国底立尊とおっしゃいます。

(彥舅は「ひこぢ」と読みます。)

原文

一書曰、天地混成之時、始有神人焉、號可美葦牙彥舅尊。次国底立尊。彥舅、此云比古尼。

簡単な解説

なんと、ここでは、天と地が分かれる前の「天地が混ざっている中に、すでに神人がいた」と言ってます。そしてその神人は可美葦牙彥舅尊だと。

まさに、宇宙の中心に君臨する神ですね。

日本人の生活における葦の重要性が強調されています。

ちなみに、この一書では二柱しか生まれません。

第一段一書 その4

ある書では、こう伝えています。

天と地が初めて分かれたとき、初めに同時に化成した神がいらっしゃいました。名を国常立尊とおっしゃいます。次に国狭立尊とおっしゃいます。

また次のようにも伝えています。

高天原に化成した神の名は、天御中主尊(あめのみなかぬしの尊)とおっしゃいます。次に高皇産霊尊(たかみむすひの尊)、次に神皇産霊尊(かむみむすひの尊)と申し上げる。

(皇産霊は「むすひ」と読みます。)

原文

一書曰、天地初判、始有倶生之神、號国常立尊、次国狹槌尊。又曰、高天原所生神名、曰天御中主尊、次高皇産靈尊、次神皇産靈尊。皇産靈、此云美武須毗。

簡単な解説

ここで高天原(たかまのはら・たかあまのはら)が登場しました。

国常立尊と国狭立尊という「地」の神的印象が強い神々のあとに、高天原すなわち「天」に、古事記における創造の神「造化三神」が登場するという構成です。

そういえば、本文から一書のその4までに現れた神々は、「地」の神ばかりのような気がします。明確に「天」の神とわかる神々が登場したのは、これが初めてです。

「神は天にいる」という考え方は少数派だったのかもしれませんね。

いやまてよ。

国と地という分類の仕方もありました。国は天のことだったのかも。。。

第一段一書 その5

ある書では、こう伝えています。

天と地がまだ生まれていないときは、例えるなら、海の上に浮かぶ雲が根ざすところがないような状態でした。

そんな中に一つの物が生まれました。それは、葦の芽が泥の中から生まれるようでした。

それが人に変化しました。国常立尊とおっしゃいます。

原文

一書曰、天地未生之時、譬猶海上浮雲無所根係。其中生一物、如葦牙之初生埿中也、便化爲人、號国常立尊。

簡単な解説

泥の中から現れ出た物が、人の形になって神となったといっています。

神は人の形をしているという概念があったということでしょう。

第一段一書 その6

ある書では、こう伝えています。

天と地が初めて分かれたとき、ある物がありました。それは葦の芽が空中に生まれたようでした。

これによって化成した神を天常立尊(あめのとこたちの尊)と申し上げます。

また、ある物がありました。それは浮かぶ脂が空中に生まれたようでした。

これによって化成した神を国常立尊と申し上げます。

原文

一書曰、天地初判、有物、若葦牙、生於空中。因此化神、號天常立尊、次可美葦牙彥舅尊。又有物、若浮膏、生於空中。因此化神、號国常立尊。

簡単な解説

こちらは「天と地」それぞれに神が現れるという、受け入れやすい構造となっています。

「陰だの陽だのというのであれば、こうでなくっちゃ」と思いますよね。

そして注目すべきは、葦の芽のような物から天常立尊が、脂のような物から国常立尊が現れたとなっています。言い換えると、葦からは天の神、脂からは国の神が生まれたということになります。

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