第一段 一書 その1
ある書では、こう伝えています。
天と地が分かれ始めたとき、その空間に一つの物がありました。その形は表現しにくいものでした。
その中で自然に神が化成しました。国常立尊(くにのとこたちの尊)とおっしゃいます。亦の名を国底立尊(くにのそこたちの尊)ともおっしゃいます。
次に、国狭槌尊(くにのさつちの尊)とおっしゃいます。
または、国狭立尊(くにのさたちの尊)ともおっしゃいます。
次に、豊国主尊(とよくにぬしの尊)とおっしゃいます。
または、豊組野尊(とよくみのの尊)、豊香節野尊(とよかぶのの尊)、浮経野豊買尊(うかぶののとよかふの尊)、豊国野尊(とよくにのの尊)、豊齧野尊(とよかぶのの尊)、葉木国野尊(はこくにのの尊)、見野尊(みのの尊)とおっしゃいます。
原文
一書曰、天地初判、一物在於虛中、狀貌難言。其中自有化生之神、號国常立尊、亦曰国底立尊。次国狹槌尊、亦曰国狹立尊。次豊国主尊、亦曰豊組野尊、亦曰豊香節野尊、亦曰浮經野豊買尊、亦曰豊国野尊、亦曰豊囓野尊、亦曰葉木国野尊、亦曰見野尊。
簡単な解説
ここでは、「天地が分かれたら、そこに何かがあった」といっています。
現れた神は、本文と同じですが、亦の名が多い多い。全国各地に、それぞれの口承が伝わっていたということでしょう。
第一段一書 その2
ある書では、こう伝えています。
大昔、国も土地も生まれたばかりで幼いころは、例えると、脂が水に浮かんでいるような状態でした。
ある時、その国の中に物が生まれました。その形は葦の芽が芽吹いたようなものです。
そこから化成した神がありました。可美葦牙彥舅尊(うましあしかびひこぢの尊)とおっしゃいます。
次に国常立尊、次に国狭槌尊とおっしゃいます。
(葉木国は「はこくに」、可美は「うまし」と読みます)
原文
一書曰、古、国稚地稚之時、譬猶浮膏而漂蕩。于時、国中生物、狀如葦牙之抽出也。因此有化生之神、號可美葦牙彥舅尊。次国常立尊。次国狹槌尊。葉木国、此云播舉矩爾。可美、此云于麻時。
簡単な解説
ここでは、水に脂が浮かんでいると表現しています。この比喩もなかなかのものです。
可美葦牙彥舅尊
そして、葦の芽のようなものから可美葦牙彥舅尊が現れました。この神が最初の神としています。
「うまし あしかび ひこぢ」=「すばらしい 葦の芽 の男」と訳せます。まさに、葦の芽の生命力を神格化した神です。
ちなみに、葦の根元には泥がたまりやすく分解が促進されるらしいです。だから魚が寄ってきて、いい漁場にもなるし、葦原を刈り取ると農耕地としても適しているらしいです。
豊かな大地を支える神に相応しい神名であると言えましょう。
国と地
「国も地も生まれたばかりで幼い」とあります。天と地ではなく、国と地。
これはいかに?
第一段一書 その3
ある書では、こう伝えています。
天と地が混じり合ってっていたとき、初めに神人がおられました。その名を可美葦牙彥舅尊(うましあしかびひこぢの尊)とおっしゃいます。次に国底立尊とおっしゃいます。
(彥舅は「ひこぢ」と読みます。)
原文
一書曰、天地混成之時、始有神人焉、號可美葦牙彥舅尊。次国底立尊。彥舅、此云比古尼。
簡単な解説
なんと、ここでは、天と地が分かれる前の「天地が混ざっている中に、すでに神人がいた」と言ってます。そしてその神人は可美葦牙彥舅尊だと。
まさに、宇宙の中心に君臨する神ですね。
日本人の生活における葦の重要性が強調されています。
ちなみに、この一書では二柱しか生まれません。
第一段一書 その4
ある書では、こう伝えています。
天と地が初めて分かれたとき、初めに同時に化成した神がいらっしゃいました。名を国常立尊とおっしゃいます。次に国狭立尊とおっしゃいます。
また次のようにも伝えています。
高天原に化成した神の名は、天御中主尊(あめのみなかぬしの尊)とおっしゃいます。次に高皇産霊尊(たかみむすひの尊)、次に神皇産霊尊(かむみむすひの尊)と申し上げる。
(皇産霊は「むすひ」と読みます。)
原文
一書曰、天地初判、始有倶生之神、號国常立尊、次国狹槌尊。又曰、高天原所生神名、曰天御中主尊、次高皇産靈尊、次神皇産靈尊。皇産靈、此云美武須毗。
簡単な解説
ここで高天原(たかまのはら・たかあまのはら)が登場しました。
国常立尊と国狭立尊という「地」の神的印象が強い神々のあとに、高天原すなわち「天」に、古事記における創造の神「造化三神」が登場するという構成です。
そういえば、本文から一書のその4までに現れた神々は、「地」の神ばかりのような気がします。明確に「天」の神とわかる神々が登場したのは、これが初めてです。
「神は天にいる」という考え方は少数派だったのかもしれませんね。
いやまてよ。
国と地という分類の仕方もありました。国は天のことだったのかも。。。
第一段一書 その5
ある書では、こう伝えています。
天と地がまだ生まれていないときは、例えるなら、海の上に浮かぶ雲が根ざすところがないような状態でした。
そんな中に一つの物が生まれました。それは、葦の芽が泥の中から生まれるようでした。
それが人に変化しました。国常立尊とおっしゃいます。
原文
一書曰、天地未生之時、譬猶海上浮雲無所根係。其中生一物、如葦牙之初生埿中也、便化爲人、號国常立尊。
簡単な解説
泥の中から現れ出た物が、人の形になって神となったといっています。
神は人の形をしているという概念があったということでしょう。
第一段一書 その6
ある書では、こう伝えています。
天と地が初めて分かれたとき、ある物がありました。それは葦の芽が空中に生まれたようでした。
これによって化成した神を天常立尊(あめのとこたちの尊)と申し上げます。
また、ある物がありました。それは浮かぶ脂が空中に生まれたようでした。
これによって化成した神を国常立尊と申し上げます。
原文
一書曰、天地初判、有物、若葦牙、生於空中。因此化神、號天常立尊、次可美葦牙彥舅尊。又有物、若浮膏、生於空中。因此化神、號国常立尊。
簡単な解説
こちらは「天と地」それぞれに神が現れるという、受け入れやすい構造となっています。
「陰だの陽だのというのであれば、こうでなくっちゃ」と思いますよね。
そして注目すべきは、葦の芽のような物から天常立尊が、脂のような物から国常立尊が現れたとなっています。言い換えると、葦からは天の神、脂からは国の神が生まれたということになります。
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