第五弾 一書(6)-③|禊祓と三神による分割統治

2020年6月29日

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伊弉諾尊の禊祓

伊弉諾尊は黄泉の国から逃げ戻られました。

そして、伊弉冉尊を追いかけて黄泉の国に行かれたことを後悔され、

「私は、とんでもなく汚れ穢れた処に行ってしまった。この身の汚れ穢れを濯ぎ落とそう。」

とおっしゃって、筑紫の日向の小戸の橘の檍原(あはきのはら)にお着きになられ、秡除(みそぎ)をされました。

まず、身の穢れを濯ぐ時に興言(ことあげ)して曰(のたま)はく、

「上の流れは速く、下の流れは遅い。」

とおっしゃられ、中程の流れで濯がれました。

この濯ぎで神が生まれました。

  • 名を八十枉津日神(やそまがつひのかみ)とおっしゃいます。
  • 次にそのまがっているのを直そうとされてお生みになられました神は、神直日神(かむなほひのかみ)とおっしゃいます。
  • 次に大直日神(おほなほひのかみ)。

また、海の底に潜って濯がれたことによって生まれた神は、

  • 底津少童命(そこつわたつみのみこと)とおっしゃいます。
  • 次に底筒男命(そこつつのをのみこと)とおっしゃいます。

海の中程で濯がれたことによって生まれた神は、

  • 中津少童命(なかつわたつみのみこと)とおっしゃいます。
  • 次に中筒男命(なかつつのをのみこと)とおっしゃいます。

海面で濯がれたことによって生まれた神は、

  • 表津少童命(うはつわたつみのみこと)とおっしゃいます。
  • 次に表筒男命(うはつつのをのみこと)とおっしゃいます。

すべてで、九神(ここのはしらのかみ)です。

この底筒男命・中筒男命・表筒男命は、住吉大神(すみのえのおほかみ)です。

底津少童命・中津少童命・表津少童命は、阿曇連等(あづみのむらじら)が斎祭(いつきまつ)る神です。

その後、

  • 左眼を洗われたことによって生まれた神は、天照大神とおっしゃいます。
  • また、右眼を洗われたことによって生まれた神は、月読尊とおっしゃいます。
  • また鼻を洗われたことによって生まれた神は、素戔嗚尊とおっしゃいます。

すべてで三神です。

伊弉諾尊は三人の子に

「天照大神は高天原を治めよ。月読尊は滄海原の潮の八百重を治めよ。素戔嗚尊は天下(あめのした:地上)を治めよ。」

とおっしゃいました。

素戔嗚尊は既に成長していて、八握鬚髯(やつかのひげ)が生えていたが、天下を治めず泣いてばかりいました。

伊弉諾尊は

「おまえは、どうしていつも泣きじゃくっているのだ?」

とお尋ねになると、

「私は、ただ母のいる根国に行きたいと思って泣いているだけです。」

とお答えしたので、伊弉諾尊は気分を害して、

「好きにするがよいわっ!」

とおっしゃられて、素戔嗚尊を追放されました。

 原文

伊弉諾尊、既還、乃追悔之曰「吾、前到於不須也凶目汚穢之處。故、當滌去吾身之濁穢。」則往、至筑紫日向小戸橘之檍原而秡除焉、遂將盪滌身之所汚、乃興言曰「上瀬是太疾、下瀬是太弱。」便濯之於中瀬也、因以生神、號曰八十枉津日神。次將矯其枉而生神、號曰神直日神、次大直日神。又沈濯於海底、因以生神、號曰底津少童命、次底筒男命。又潛濯於潮中、因以生神、號曰表中津少童命、次中筒男命。又浮濯於潮上、因以生神、號曰表津少童命、次表筒男命。凡有九神矣。其底筒男命・中筒男命・表筒男命、是卽住吉大神矣。底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神矣。

然後、洗左眼、因以生神、號曰天照大神。復洗右眼、因以生神、號曰月讀尊。復洗鼻、因以生神、號曰素戔嗚尊。凡三神矣。已而、伊弉諾尊、勅任三子曰「天照大神者、可以治高天原也。月讀尊者、可以治滄海原潮之八百重也。素戔嗚尊者、可以治天下也。」是時、素戔嗚尊、年已長矣、復生八握鬚髯、雖然不治天下、常以啼泣恚恨。故、伊弉諾尊問之曰「汝、何故恆啼如此耶。」對曰「吾欲從母於根國、只爲泣耳。」伊弉諾尊惡之曰「可以任情行矣。」乃逐之。

 かんたん解説

いまここに、伊弉諾尊が我国初の禊祓いを行いました。「祓」は日本神道の真髄ともいうべき神事ですから、この段は重要です。

穢(けがれ)

「黄泉の国は汚穢の国だ」「汚穢を濯ぐごう」と伊弉諾尊は言いました。

この「穢」。いまでも、使われている言葉ですね。

よくドラマなんかで見るのは、浮気をした夫に対して「けがらわしい!」と叫ぶ奥さんのシーンでしょうか。

「穢」は、宗教的な観念の一つで、罪、災(禍:まが)などと同じく不浄概念を構成しています。

穢を見たり触ったりすると、その穢が身にくっついてしまいます。穢がつくと、病気や事故など良くないことが起こります。場合によっては死に至ります。

ところが、神は穢を嫌うため、穢を身にくっつけた人は神に近づくことができません。よって神のご加護を得ることもできないということになりましょう。

踏んだり蹴ったりです。

穢れの具体例としては、、、

  • 死・出産・妊娠・傷胎・月事・損傷
  • 獣肉・五辛(ニラ・ネギ・ニンニク・ラッキョウ・ハジカミ)
  • 穢れのある人が点火した火や獣肉類などを焼いた火
  • 殺人・改葬・発墓・失火
  • 獣死・獣不具・獣産・獣傷胎

などです。

身内に不幸があった年は神社詣はしない、生理中は鳥居をくぐらない、など、年配の人の中には穢れを意識しておられる方もいらっしゃるでしょう。

でも、それだけではなく、、、

私たちは、日常的に牛や豚や鶏の肉を食べますし、ネギやニンニクなんかも食べますやん。

ですから、現代人は常に穢れているということになりますやん。もう救いようがない?

祓(はらい)

そんな穢を綺麗にする方法が一つだけあります。それが「祓」海に潜って、潮水で身体を濯ぐわけです。

かつての伊勢の神宮への参拝は、夫婦岩で有名な二見ヶ浦にある二見輿玉神社に参拝して、海に入り穢れを落とすことからスタートしていたそうです。

河内の枚岡神社には、禊の滝があります。ここで滝行を行ってから参拝するのが正式参拝なのでしょう。

そんなことはしてられない忙しい現代人はというと、まずは手水舎で手と口を濯ぎますよね。これは禊祓の簡易バージョンなのです。

さらに、「祓戸社」という境内社があれば、そちらに参拝して穢れを祓ってもらいます。

このような手続きを経て、やっとこさ神前に立つことができるのです。

それもこれも、神様は穢が嫌いだからです。

八十枉津日神やそまがつひのかみ)

穢が嫌いな神様たちですが、唯一、災いの神がいらっしゃいました。それが八十枉津日神です。

「八十=たくさんの、枉=禍(まが)=災い、津=の、日=霊」で、「沢山の災いの神霊」という意味になりましょう。

黄泉の国から還って初めに現れたのですから、黄泉の国の穢れ=「死の穢れの神」とも言えましょう。死の穢れがキングオブ穢れという解釈にもなりますかね。

ところがちゃんと、その禍を直してくれる神も同時に生まれました。神直日神と大直日神です。

二人がかりでタックルするんですね。

少童神三神と住吉三神

いずれも航海に関係する神として、少童三神は阿曇族、住吉三神は住吉族という海人族が、それぞれ斎祀っていたといいます。

少童命の方が先に現れていますので、阿曇族が先にあり、そこから住吉族が分化していったのではと言われています。

三神セットで現れたのは、航海の神であるからして、夜の航海で目印となるオリオン座の三ツ星を象徴しているのだろうとされています。

のちに生まれ来る宗像三女神も同じでしょうね。

左目・右目・鼻

これまでの一書では、日神・月神の生まれかたと、素戔嗚尊の生まれ方に大きな違いがありました。

ここでは、左目・右目・鼻をそれぞれ濯ぐという具合に大きな違いはありません。

というか、左・右・中央という見方をすると、中央の鼻から現れた素戔嗚尊が最も高位のようにも思えます。

さて、日本書紀が編纂されたのは奈良時代の720年。この頃は、仏教が盛んに取り入れられていた時代です。当時に創建された寺院の中に、国宝「薬師三尊像」で有名な「薬師寺」があります。

あの薬師三尊像って、真ん中が薬師如来で、左が日光菩薩右が月光菩薩なのです。

真ん中が素戔嗚尊、左が日神、右が月神と、なんか、似てませんか?

ちなみに、本地垂迹思想によると、薬師如来の垂迹が牛頭天王で、牛頭天王は素戔嗚尊の本地とされます。すなわち、薬師如来=牛頭天王=素戔嗚尊なのです。

やっぱり、素戔嗚尊が最高位に見えてきましたね。

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