第五段 本文
次に海をお生みになられました。
次に川をお生みになられました。
次に山をお生みになられました。
次に木の祖の句句廼馳(くくのち)をお生みになられました。
次に草の祖の草野姫(かやのひめ)をお生みになられました。亦の名を野槌(のつち)といいます。
その後、伊弉諾尊と伊弉冉尊とは
「我々はすでに大八洲国を生み、山川草木を生んできた。なんで天下を統治するべき者が生まれないのだろう。」
と相談されました。
そこでお二人で日神をお生みになられました。大日孁貴(おほひるめのむち)といいます。
ある書では、「天照大神(あまてらすおほ(み)かみ」といいます。
またある書では、「天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)」といいます。
この子(みこ)は彩りも美しく光り輝き、天地を照り輝やかせました。
二神は喜んで
「我が子はたくさんいるが、こんなに霊威の強い子はいない。この国に留め置くのはよくないだろう」
とおっしゃられ、すぐに天上に上らせて、天上の事を教えることにしました。
この時は、天と地とはまだ遠く離れていなかったので、おのごろ嶋の天柱(あめのみはしら)を使って、天上へ挙げました。
次に月神(つきのかみ)をお生みになられました。
ある書では、「月弓尊(つくゆみのみこと)、月夜見尊(つくよみのみこと)、月読尊(つくよみのみこと)」といいます。
この子の彩りよく光り輝く様は、日神(ひのかみ)の次に素晴らしかったので、月神を日神に副えて治めさせようと思い、この子も天上にお送りになられました。
次に蛭兒(ひるこ)をお生みになられました。
三歳になっても足が立ちませんでした。そこで、天磐櫲樟船(あめのいはくすのふね)に乗せて、風のままに流して捨ててしまいました。
次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)をお生みになられました。
ある書では、「神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)、速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)」といいます。
この神は、勇猛で気性が荒く、我慢が出来ない子でした。また、常に大声で泣いておられました。
そのため、国中の人民の多くを早死にさせ、青く茂った山を枯らしてしまいました。
そこで、父母の二神は素戔嗚尊に、
「お前は道から外れておる。よってお前はこの宇宙に君臨してはならん。遠い根国(ねのくに)に行ってしまえ!」
とおっしゃられ、追放されました。
原文
次生海、次生川、次生山、次生木祖句句廼馳、次生草祖草野姬、亦名野槌。既而伊弉諾尊・伊弉冉尊、共議曰「吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。」於是、共生日神、號大日孁貴。大日孁貴、此云於保比屢咩能武智、孁音力丁反。一書云天照大神、一書云天照大日孁尊。此子、光華明彩、照徹於六合之內。故、二神喜曰「吾息雖多、未有若此靈異之兒。不宜久留此國。」自當早送于天而授以天上之事。是時、天地、相去未遠、故以天柱舉於天上也。
次生月神。一書云「月弓尊、月夜見尊、月讀尊。」其光彩亞日、可以配日而治。故、亦送之于天。次生蛭兒。雖已三歲、脚猶不立、故載之於天磐櫲樟船而順風放棄。次生素戔嗚尊。一書云「神素戔嗚尊、速素戔嗚尊。」此神、有勇悍以安忍、且常以哭泣爲行。故、令國內人民多以夭折、復使靑山變枯。故、其父母二神、勅素戔嗚尊「汝甚無道。不可以君臨宇宙。固當遠適之於根國矣。」遂逐之。
簡単な解説
この段は、天照大御神と素戔嗚尊が生まれたのですから、神世七代の誕生に続いて大変重要な段となります。
あらすじは、、、
大自然の神々を生んだあと、夫婦の相談のうえで、天下を統治する神を生もうとしました。
すると、日神と月神が生まれました。しかしながら、この二神は尊すぎて天に挙げられました。 次に生まれた蛭子は捨てられ、次の素戔嗚尊は荒ぶる神だったので根の国に追放しました。 |
大自然の神
神とはいいましたが、海、川、山とだけで、~神とか~尊とかの尊称がついてないです。ですから、前段の国生みの続きですね。個性のない物体が生まれたイメージです。
ただし、すべての物に神が宿るという考え方がありましたから、我々が思う単なる物体ではないのでしょう。
次に生まれた木と草には名前があります。しかし、尊称はくっついてない。
植物だから物体ではなく生き物。でも人型ではない。だから神の手前の格付け?。というスキームなのでしょうか。森の精霊、、、的な。
天下
天下は、天の下。すなわち地上世界を意味すると考えました。それは天上という表現が別にあるからです。
日神と月神は、天上に挙げられました。
これは、天上にはすでに天神がいらっしゃいますが、それにも増して霊威の強い子だったため、この二神に天上を任せようと思ったのでしょう。
結局は目的だった「天の下」すなわち「地上世界」を統治する神は生まれなかったと、私は理解しました。
では、統治者のいない地上世界はどうなったのでしょう。。。それが、日本神話の骨格です。
陰陽の不調和
海、川、山、木、草を生んだあと、夫婦で日神と月神を生みました。この二神は「出来の良すぎる子」。
次に生まれる蛭子と素戔嗚尊の二神は「出来の悪すぎる子」です。
これは、前段の「陰と陽の調和が取れていなかった」からですね。
大日孁貴(おほひるめのむち)
古事記では天照大御神です。
大日孁貴は、「大いなる太陽の霊威力をもった、とんでもなく貴い神。」という意味でしょう。
性別については明確に「陰:女性」とは記載されていませんが、「孁」の字は女神であることをほのめかしていうように思えます。
ですが、陰陽思想においては、太陽は「陽」で女性は「陰」ですから「陽の陰神」。矛盾が生じます。
これはいかに?
月神
古事記では月読尊。
こちらも性別は明かされていません。しかし、陰陽思想においては、月は「陰」です。
月読は、農耕暦でもありますが月経の周期でもあります。五穀豊穣と子孫繁栄に月読は欠かせないのです。
普通に考えて、月神は女神である可能性が高いと思いませんか。
男神と女神の逆転
これらのことからも、そもそもの神話(口頭伝承)では日神は男神で月神は女神だったのではないかと思います。すなわち、天照大御神は男神だったということです。
しかし、編纂当時の時勢としては天照大御神は女神でなければならなかった。
だから、女神の月神を男神化して、男神の日神を女神化する必要があります。
その第一の仕掛けが「孁」という造字でしょう。
素戔嗚尊
ある書では「神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)、速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)」と、わざわざ注釈をつけています。「神」「速」といった賛美の文字を使って。
これは、のちのち英雄的存在になるんですよ~という前振りなのでしょう。
英雄的存在って?今は空席となっている「地上の統治者」です。
伊弉冉の死は?
伊弉冉尊が火の神を生んで死んでしまう件、黄泉の国の件、禊祓いの件は、この段の本文には記載されていません。では、第六段で登場するのかと思いきや、
実は、それらはすべて、この段の一書の中で紹介されています。
ですので、一書というのは単に「こんな話もあるよ~」という異伝集ではなく、一書も本文と考えるべきなのでしょう。
本文と一書を組み合わせて理解を進めていく必要がありますね。
だって、第五段の一書(6)は、本文の3倍以上の文字数があるのですから、、、
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