第三代 安寧天皇|

磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
第三代 安寧(あんねい)天皇

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即位前

磯城津彦玉手看天皇(安寧天皇)は、神渟名川耳天皇(綏靖天皇)の皇太子です。母は五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)で事代主神の娘です。

綏靖25年

皇太子となられました。御年21歳の時です。

綏靖33年

五月 神渟名川耳天皇が崩御されました。

 原文

磯城津彦玉手看天皇 神渟名川耳天皇太子也 母曰五十鈴依媛命 事代主神之少女也 天皇 以神渟名川耳天皇廿五年 立爲皇太子 年廿一
卅三年夏五月 神渟名川耳天皇崩

 

即位

綏靖33年 壬子(みずのえのね) 前549

七月三日 皇太子が天皇の位につきました。

 原文

其年七月癸亥朔乙丑 太子卽天皇位

先帝の御陵

安寧元年 癸丑(みずのとのうし) 前548

十月十一日 神渟名川耳天皇を桃花鳥田丘上陵(つきたのをかのうえのみささぎ)に埋葬申し上げ、皇后は皇太后として尊ばれました。

この年は太歳癸丑(みづのとのうし)でした。

 原文

元年冬十月丙戌朔丙申 葬神渟名川耳天皇於倭桃花鳥田丘上陵 尊皇后曰皇太后 是年也 太歲癸丑

 かんたん解説

桃花鳥田丘上陵

先帝である綏靖天皇の御陵は、畝傍山の北東にある神武天皇陵の北隣にある桃花鳥田丘上陵に比定されています。円墳らしいです。

安寧天皇の宮

安寧2年 甲寅(きのえのとら) 前547

都を片塩(かたしほ)に遷しました。この宮を浮孔宮(うきあなのみや)といいます。

 原文

二年遷都於片鹽 是謂浮孔宮

 かんたん解説

浮孔宮

未だ特定できていないようで、次の3か所が候補となっています。

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  • 奈良県橿原市四条町・・・帝王編年記に「畝傍山の北」とあり、それを受けた形で和州旧跡幽考が「今の四条町の北にあった」と論じました。
  • 奈良県大和高田市三倉堂・・・大和志に「葛下郡三倉堂村に在り」とあります。現在、石園座多久蟲玉神社に宮跡の石碑が立ってます。片塩の地名や浮孔駅が見えますが、これは後世の付会であるとされています。
  • 大阪府柏原市・・・古事記伝は大和川と石川の合流地点あたりにあったといいます。

普通は、橿原市か大和高田市のどちらかで、大阪の柏原市は無いんじゃない?と思いますよね。

しかし、あの本居宣長先生が大阪の柏原だと言っているのですから、全くの無視は失礼だと思いましたので載せておきました。

でも、このあたりには玉手山という小山がありますし、かつて志貴県があったとも。磯城津彦玉手看に通じる感じが無くもないですよ、、、

皇后と皇子

安寧3年 乙卯(きのとのう) 前546

正月五日 淳名底仲津媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)亦は淳名襲媛(ぬなそひめ)といいますを皇后とされました。

ある書には、磯城縣主葉江(しきのあがたぬし はえ)の娘で川津媛(かはつひめ)とあります
また、ある書には、大間宿禰(おほまのすくね)の娘の糸井媛(いとゐひめ)とあります

これより先に、皇后は二人の皇子をお生みになりました。

  • 第一皇子を息石耳命(おきそみみのみこと)
  • 第二皇子を大日本彦耜友天皇(おほやまとひこすきとものすめらみこと)

ある話では、三皇子を生んだとあります。

  • 第一皇子を常津彦某兄(とこつひこいろね)
  • 第二皇子を大日本彦耜友天皇
  • 第三皇子を磯城津彦命(しきつひこのみこと)

安寧11年 癸亥(みずのとのゐ) 前538

正月一日 大日本彦耜友尊を立てて皇太子とされました。弟の磯城津彦命は猪使連(ゐつかひのむらじ)の始祖です。

 原文

三年春正月戊寅朔壬午 立渟名底仲媛命亦曰渟名襲媛爲皇后 一書云 磯城縣主葉江女川津媛 一書云 大間宿禰女糸井媛 先是 后生二皇子 第一曰息石耳命 第二曰大日本彦耜友天皇一云 生三皇子 第一曰常津彦某兄 第二曰大日本彦耜友天皇 第三曰磯城津彦命
十一年春正月壬戌朔 立大日本彦耜友尊 爲皇太子也 弟磯城津彦命 是猪使連之始祖也

 かんたん解説

3人の皇后伝承

綏靖天皇と同じように、3人が伝承として残っていますね。

淳名底仲津媛命

本文にその出自は書かれていませんが、この姫は事代主の孫の鴨王の娘です。神武天皇・綏靖天皇に続いて三代連続で事代主神の子孫の娘を皇后としたことになります。

川津媛

磯城縣主の葉江の娘とあります。上の鴨王とは同族となりましょう。

糸井媛

大間宿禰の娘とあります。大間=大目=大日と言われていますので、春日県主の娘ということになりましょう。

このように、3人の姫の出身氏族も綏靖天皇の皇后伝承と同じです。

そして、ホツマツタヱによると三人とも宮中に入り、その序列は、淳名底仲津媛命が内宮、川津媛が典侍、糸井媛が長橋から大典侍に昇格したとあります。

この感じも綏靖天皇の皇后・妃の構成と同じです。

同じ過ぎて違和感がありますね。こんな所も、実在性を疑われる部分なのでしょうか。

崩御

安寧38年 庚寅(かのえのとら) 前511

十二月六日 安寧天皇が崩御されました。享年57歳でした。

 原文

卅八年冬十二月庚戌朔乙卯 天皇崩 時年五十七

 

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