日本書紀|第二十五代 武烈天皇②|太子と鮪の歌合戦、そして鮪の死

小泊瀬稚鷦鷯天皇(をはつせのわかさざきのすめらみこと)
第二十五代 武烈(ぶれつ)天皇

、、、続き、、、

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太子と鮪の歌の応酬

しばらくしてしびがやって来て、太子を押して影媛の間に割って入ったので、太子は影媛の袖を離して、前に回って鮪と向かい合って立ち、詠まれた歌、

しほせの なをりをみれば あそびくる しびがはたでに つまたてりみゆ
あるふみ しほせ をもちて みなと にかふ

潮瀬の 波折を見れば 遊び来る 鮪が端手に 妻立てり見ゆ
ある本では、「潮瀬」を「水門」に換えている

潮の流れの速い瀬の、波が幾重にも重なっているあたりを見れば、泳いでくる鮪のそばに、私の妻が立っているのが見えるぞ

鮪の返歌

おみのこの やへやからかき ゆるせとやみこ

臣の子の 八重や韓垣 ゆるせとや御子

臣の子の家の八重に囲んだ韓垣の 囲いを緩めよ、とおっしゃるのですか?太子は

太子が詠まれた歌

おほたちを たれはきたちて ぬかずとも すゑはたしても あはむとぞおもふ

大太刀を 垂れ佩き立ちて 抜かずとも 末果しても 逢はむとぞ思ふ

私は、大太刀を腰に垂らし佩いて立っているが、今はその太刀を抜かなくても、いずれは果たして、影媛と会おうと思っている

鮪の返歌

おほきみの やへのくみかき かかめども なをあましじみ かかぬくみかき

大君の 八重の組垣 掛かめども 汝を編ましじみ 掛かぬ組垣

大君の家を八重に囲んだ組垣を作ろうとしても、あなたには、垣根を編むことも 組むこともできないでしょう。組垣は。

太子が詠まれた歌

おみのこの やふのしばかき したとよみ なゐがよりこば やれむしばかき
あるふみ やふのしばかき をもちて やへからかき にかふ

臣の子の 八節の柴垣 下動み 地震が揺り来ば 破れむ柴垣
ある本では、「八節の柴垣」を「八重韓垣」に換えている

臣の子の網目が多い柴垣は、下の方が動いている。地震が起これば、壊れる柴垣だ

 原 文

俄而鮪臣來、排太子與影媛間立。由是、太子放影媛袖、移向前、立直當鮪。歌曰、

之裒世能 儺鳴理鳴彌黎麼 阿蘇寐倶屢 思寐我簸多泥儞 都摩陀氐理彌喩
一本、以之裒世易彌儺斗。

鮪答歌曰、

飫瀰能古能 耶陛耶哿羅哿枳 瑜屢世登耶瀰古

太子歌曰、

飫裒陀㨖鳴 多黎播枳多㨖氐 農哿儒登慕 須衞婆陀志氐謀 阿波夢登茹於謀賦

鮪臣答歌曰、

飫裒枳瀰能 耶陛能矩瀰哿枳 哿々梅騰謀 儺嗚阿摩之耳彌 哿々農倶彌柯枳

太子歌曰、

於彌能姑能 耶賦能之魔柯枳 始陀騰余瀰 那爲我與釐據魔 耶黎夢之魔柯枳
一本、以耶賦能之魔柯枳易耶陛哿羅哿枳。

鮪が影媛に代わって太子に返歌する

太子は、影媛に歌を贈られて

ことがみに きゐるかげひめ たまならば あがほるたまの あはびしらたま

琴頭に 来居る影媛 玉ならば 我が欲る玉の 鮑白玉

琴の頭に現れ来て宿るという影媛は、玉に例えるならば、私が一番欲しいと思っている 鮑の真珠だ

鮪が影媛に代わって詠んだ返歌

おほきみの みおびのしつはた むすびたれ たれやしひとも あひおもはなくに

大君の 御帯の倭文織 結び垂れ 誰やし人も 相思はなくに

大君の御帯の倭文織の結び緒が垂れているように、誰(たれ)か別の人のことを思うことはありません

太子は、既に鮪が影媛と情を通じていることを理解し、悉く無礼な父子の有様を知り、激怒しました。

 原 文

太子贈影媛歌曰、

舉騰我瀰儞 枳謂屢箇皚比謎 拕摩儺羅磨 婀我裒屢柁摩能 婀波寐之羅陀魔

鮪臣爲影媛答歌曰、

於裒枳瀰能 瀰於寐能之都波拕 夢須寐陀黎 陀黎耶始比登謀 阿避於謀婆儺倶儞

太子、甫知鮪曾得影媛。悉覺父子無敬之狀、赫然大怒。

影媛の嘆き

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その夜すぐに、大伴金村連おほとものかなむらのむらじ  「5」の家に出向かれ、兵を集めて策を相談されました。

大伴連は兵1000人を率いて、道を塞ぎ、鮪を乃楽山ならやま「6」で誅殺しました。  ある本には、「鮪は影媛の家に泊まっていて、その夜に殺された」と云う

この時、影媛は、鮪が殺された処まで行き、殺されるのを見ました。気を失うほどに驚き恐れて、悲しみの涙にくれました。そしてやっとのことで作った歌

いすのかみ ふるをすぎて こもまくら たかはしすぎ ものさはに おほやけすぎ はるひ かすがをすぎ つまごもる をさほをすぎ たまけには いひさへもり たまもひに みづさへもり なきそほちゆくも かげひめあはれ

石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉盌に 水さへ盛り 泣き沾ち行くも 影媛あはれ

石上の布留を過ぎて、高橋を過ぎ、大宅を過ぎ、春日を過ぎ、小佐保を過ぎ「6」、立派な食器にはご飯を盛り、立派な椀には水を盛って、泣きぬれてゆく影媛は、ああ。。。

影媛は、埋葬を終え、家に帰ろうとしたときに、むせび泣いて

「苦しいことです。今日、愛しい夫を失ってしまいました」

といい、涙を流して、からまった心で詠んだ歌、

あをによし ならのはさまに ししじもの みづくへごもり みなそそく しびのわくごを あさりづなゐのこ

青丹によし 乃楽のはさまに 鹿じもの 水漬く辺隠り 水灌く 鮪の若子を 漁り出な猪の子

乃楽山の谷間で、水浸しで片隅に隠された、死んだ鹿のように、水に打たれている鮪の若子を、漁り出さないでくださいね。猪の子よ

 原 文

此夜、速向大伴金村連宅、會兵計策。大伴連、將數千兵、傲之於路、戮鮪臣於乃樂山。一本云「鮪宿影媛舍、卽夜被戮。」

是時、影媛、逐行戮處、見是戮已、驚惶失所、悲淚盈目。遂作歌曰、

伊須能箇瀰 賦屢嗚須擬底 舉慕摩矩羅 柁箇播志須擬 慕能娑幡儞 於裒野該須擬 播屢比 箇須我嗚須擬 逗摩御暮屢 嗚佐裒嗚須擬 拕摩該儞播 伊比佐倍母理 拕摩暮比儞 瀰逗佐倍母理 儺岐曾裒遲喩倶謀 柯㝵比謎阿婆例

於是、影媛、收埋既畢、臨欲還家、悲鯁而言「苦哉。今日、失我愛夫。」卽便灑涕愴矣、纏心歌曰、

婀嗚儞與志 乃樂能婆娑摩儞 斯々貳暮能 瀰逗矩陛御暮梨 瀰儺曾々矩 思寐能和倶吾嗚 阿娑理逗那偉能古

ひとことメモ

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大伴金村連

大伴氏は、瓊瓊杵尊が天孫降臨する際に先駆けを務めた天押日命を祖とする氏族です。神武東征においても、道臣命が将軍として大活躍。さらに、雄略天皇の御代には大伴室屋が大連として活躍。

物部氏と同じように、朝廷の軍事を司った氏族です。

室屋大連の子とも孫ともいわれる大伴金村連は、武烈天皇、その次の継体天皇の即位に大きく貢献したので、軍事だけでなく政治にも影響力を持つようになった人です。

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布留・高橋・大宅・春日・小佐保・乃楽山

影媛が鮪を弔うために、物部の実家から平城山へと歩く道程が記されています。

  • 布留・・・今の天理市布留町。布留川、石上神宮があるあたりです。
  • 高橋・・・今の天理市櫟本町の高品から高瀬川(旧名:高橋川)あたりという説があります。
  • 大宅・・・今の奈良市古市町あたり。大宅氏は和珥氏と同族。
  • 春日・・・今の奈良市高畑から奈良まちにかけて。
  • 佐保・・・今の奈良市の北東部。佐保川や佐保山があります。
  • 乃楽山・・・奈良市と京都府の境目に東西に横たわる丘陵地帯です。

ちなみに、以下は枕詞で、それぞれ

  • 石上いそのかみ」は、布留に
  • 薦枕こもまくら」は「高」を含む単語に、
  • 物多ものさは」は「おお」を含む単語に、
  • 春日はるひ」は、春日かすが
  • 妻隠つまごもる」は、小佐保に

に掛かります。

妻隠るは、本来は「や」で始まる単語に掛かる枕詞なんですが、「小佐保」に掛けている理由はわからないらしいです。

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