日本書紀|第十九代 允恭天皇②|即位を承諾する

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皇后の説得

允恭いんぎょう元年 壬子みずのえのね 412

十二月 妃の忍坂大中姫命おしさかのおほなかつひめは、群臣の憂い嘆くのを苦しまれて、自ら洗手水を取り皇子の御前に進まれて、

大王おおきみは即位を辞退なさり、空位のまま年月が過ぎました。群臣まえつきみたち百寮つかさつかさは、どうすればよいのか判らずに困っています。大王きみは、皆の希望に添っていただき、敢えて帝位にお就き頂きたくお願い申し上げます」

と申し上げましたが、皇子は背を向けられて何もおっしゃらず、聞き入れられませんでした。

大中姫命は畏まって、退かずにお侍りになること四・五とき。時は年末で、風は烈しく寒く、大中姫が捧げ持っていたまりからこぼれ落ちた水が、姫の腕で凍り付くほどでした。あまりの寒さに大中姫は死にそうになりました。

 原 文

元年冬十有二月、妃忍坂大中姬命、苦群臣之憂吟而親執洗手水進于皇子前、仍啓之曰「大王辭而不卽位、位空之既經年月。群臣百寮、愁之不知所爲。願大王從群望强卽帝位。」然皇子、不欲聽而背居不言。於是、大中姬命惶之、不知退而侍之經四五剋、當于此時季冬之節風亦烈寒、大中姬所捧鋺水溢而腕凝、不堪寒以將死。

遂に、即位を承諾

皇子が振り返られて驚かれ、すぐに助け起こされて、

「皇位の位は重いから、そう簡単に受けることができないと思い、今まで従わなかった。しかし今、群臣からの要請は理に適っているので、どうして断り続けることなどできようか」

とおっしゃられました。

大中姫命は仰ぎ喜んで、すぐに群卿に

「皇子が群臣の願いをお聞き入れくださります。今すぐに天皇の璽符みしるしをお持ちしなさい」

とおっしゃいました。

群臣は大変喜び、その日のうちに、天皇の璽符みしるしを持って、再び拝謁して奉りました。

皇子は、

「群卿たちはみな、天下のために私のような者を必要としてくれた。何で断り続けることができようか」

是年は太歳は、壬子みずのえのねでした。

 原 文

皇子顧之驚、則扶起謂之曰「嗣位重事、不得輙就、是以、於今不從。然今群臣之請、事理灼然、何遂謝耶。」爰大中姬命仰歡、則謂群卿曰「皇子將聽群臣之請、今當上天皇璽符。」於是、群臣大喜、卽日捧天皇之璽符、再拜上焉。皇子曰「群卿共爲天下請寡人、寡人何敢遂辭。」乃卽帝位。是年也、太歲壬子。

 ひとことメモ

忍坂大中姫命おしさかのおほなかつひめ

父は稚野毛二派皇子わかぬけふたまたのみこで、応神天皇の第五皇子。母は弟日売真若比売命おとひめまわかひめのみことで、日本武尊の曾孫。ですので、皇后となるに相応しい高貴なお姫様です。

 

皇后と皇子女

允恭2年 癸丑みずのとのうし 413

・二月十四日 忍坂大中姫おしさかのおほなかつひめを立てて皇后になさいました。この日、皇后のために刑部おしさかべを定められました。

皇后は、

  • 木梨軽皇子きなしのかるのみこ
  • 名形大娘皇女ながたのおほいらつめのひめみこ
  • 境黒彦皇子さかいのくろひこのみこ
  • 穴穂天皇あなほのすめらみこと(安康天皇 )
  • 軽大娘皇女かるのおおいらつめのひめみこ
  • 八釣白彦皇子やつりのしろひこのみこ
  • 大泊瀬稚武天皇おおはつせのわかたけのすめらみこと(雄略天皇)
  • 但馬橘大娘皇女たじまのたちばなのおおいらつめのひめみこ
  • 酒見皇女さかみのひめみこ

を、お生みになりました。

 原 文

二年春二月丙申朔己酉、立忍坂大中姬爲皇后、是日、爲皇后定刑部。皇后生木梨輕皇子・名形大娘皇女・境黑彥皇子・穴穗天皇・輕大娘皇女・八釣白彥皇子・大泊瀬稚武天皇・但馬橘大娘皇女・酒見皇女。

 ひとことメモ

皇子が5人。

  • 木梨軽皇子きなしのかるのみこは、太子となるも自業自得の事件(後述)で群臣の支持を失って失脚。
  • 境黒彦皇子さかいのくろひこのみこは、安康天皇暗殺事件で共犯者と疑われて、弟の大泊瀬稚武皇子おおはつせのわかたけのおうじに誅殺される。
  • 穴穂皇子あなほのおうじは、安康天皇として即位するも、皇后の連れ子から敵討ちされて殺される。
  • 八釣白彦皇子やつりのしろひこのみこも、境黒彦皇子さかいのくろひこのみこと同じく、安康天皇暗殺事件で共犯者と疑われて、弟の大泊瀬稚武皇子おおはつせのわかたけのおうじに誅殺される。
  • 最後に残ったのが大泊瀬稚武皇子おおはつせのわかたけのおうじ。兄弟その他の皇位継承候補を次々と殺して、天皇に即位する。

こんな子供たちの母親って、心が幾つあっても足りませんね。

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