日本書紀|第十九代 允恭天皇③|失敬な闘鶏国造

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失礼な闘雞国造つげのくにのみやつこ

これより前のことで、皇后がお母様と暮らしておられた頃のことです。

一人で庭で遊んでおられると、闘鶏国造つげのくにのみやつこが、傍の道を通りかかり、馬に乗ったまままがきから覗き込み、ふざけながら皇后に

「上手に庭園を造ってるなぁ。お前」

と言いました。また、

「おい、姉ちゃんよ、そのあららぎを一茎くれよ」

と言いました。

皇后は、すぐにあららぎを一本取って、馬に乗っているものに与えて、

「何のためにあららぎが欲しいの?」

とお尋ねになると、

「山に入ったときのまぐなき除けだよ」

と言いました。

この時皇后は心の中で、馬に乗った人の言葉に礼儀が無いと思って、

おびとよ。あなたのことは忘れませんよ」

とおっしゃいました。

 原 文

初皇后隨母在家、獨遊苑中、時鬪鶏國造、從傍徑行之、乘馬而莅籬、謂皇后嘲之曰「能作園乎、汝者也。」汝、此云那鼻苔也。且曰「壓乞、戸母、其蘭一莖焉。」壓乞、此云異提。戸母、此云覩自。

皇后則採一根蘭、與於乘馬者、因以、問曰「何用求蘭耶。」乘馬者對曰「行山撥蠛也。」蠛、此云摩愚那岐。時皇后、結之意裏乘馬者辭旡禮、卽謂之曰「首也、余不忘矣。」

 ひとことメモ

闘鶏国造つげのくにのみやつこ

闘鶏つげは、今の天理市福住ふくずみから奈良市都祁つげのあたりとのこと。

異本阿蘇氏系図によると、闘鶏氏は、神武天皇の御子である神八井耳命を祖とする豪族とのこと。

仁徳天皇紀の「闘鶏つげ氷室ひむろ 」の説話に、氷室の管理を任された闘鶏稲置大山主つげのいなきのおおやまぬしという人物が登場しました。この人も闘鶏国造です。

この大山主おおやまぬしの子の角古君つのこのきみが、今回の無礼者だと、異本阿蘇氏系図に見えます。

父親が仁徳天皇と近しい関係になったから、天狗になってたのかもしれないですね。

戸母

戸母は「とじ」と読みます。刀自とも書きます。女の戸主のことです。

それが転じて年輩の女性を敬愛の気持ちを込めて呼ぶ敬称的に使われたようです。また、貴族の家に入って家事を行う女性のことを指す場合もあるらしいです。

今回の場合は、後者のイメージかと思い、「おい、姉ちゃん」と訳してみましたが、戸母というように「母」の文字を使っているから、もしかしたら「おい、かあちゃん」と訳すべきだったかもしれないです。

迷いました。

いずれにしても、失礼には違いないですが。

 

皇后が闘雞国造つげのくにのみやつこを裁く

その後、皇后になられた年に、馬に乗ってあららぎを乞うた者を探し出して、昔の罪で殺そうとされました。

あららぎを乞うた者、額を地面に擦り付けて

「私めの罪は本当に死罪に値します。しかし、あの時はそんなに貴いお方だとは知りませんでした」

と言ったので、死罪を許し、かばねを降格させて稲置いなきとされました。

 原 文

是後、皇后登祚之年、覓乘馬乞蘭者而數昔日之罪以欲殺、爰乞蘭者、顙搶地叩頭曰「臣之罪實當萬死。然當其日、不知貴者。」於是皇后、赦死刑、貶其姓謂稻置。

 ひとことメモ

闘鶏国造の廃止

この一件で、姓が降格されただけでなく、角古君の代で闘鶏国造は廃止されたらしいですよ。

闘鶏稲置大山主つげのいなきのおおやまぬし

父親の姓が稲置となっているのは、仁徳朝の頃は稲置ではなかったが、後年の(今回の)子供の不祥事を受けて、日本書紀内では、さかのぼって貶められた姓で表記されてしまったのではないかと推測します。

 

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