日本書紀|第十九代 允恭天皇⑦|烏賦津使主、見事に弟姫を連れてくる

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中臣烏賦津使主なかとみのいかつのおみの作戦勝ち

烏賦津使主は、

「既に天皇の必ずお連れてくるようご命令を受けております。もし連れて来なければ罪とすると。戻って極刑を被るよりは、お庭で座したまま死んだ方がましでございます」

と言いました。そして、庭に伏して7日、食物を与えられても食べず、密かに懐中のほしいを食べていました。

弟姫は、皇后の嫉妬を恐れて、天皇のお召しをお断りしてきたましたが、さらに、天皇の忠臣を死なせる様なことにでもなれば、これもまた自分の罪となると考え、烏賦津使主いかつのおみに従ってやって来ました。

そして、倭の春日に至り、櫟井いちいいで食事をされ、弟姫は、自ら酒を使主おみに注いで、その労を慰めました。使主おみは、その日のうちに、都に着き、弟姫を倭直やまとのあたい吾子籠あごこの家に留めて、天皇に復命しました。

天皇は大層喜ばれて、烏賦津使主いかつのおみに厚く褒美を与えました。

 原 文

時烏賊津使主對言「臣既被天皇命、必召率來矣。若不將來、必罪之。故、返被極刑、寧伏庭而死耳。」仍經七日伏於庭中、與飲食而不湌、密食懷中之糒。於是弟姬以爲、妾因皇后之嫉、既拒天皇命、且亡君之忠臣、是亦妾罪 則從烏賊津使主而來之。

到倭春日、食于檪井上、弟姬親賜酒于使主、慰其意。使主、卽日至京、留弟姬於倭直吾子籠之家、復命天皇。天皇大歡之、美烏賊津使主而敦寵焉。

 ひとことメモ

檪井上

檪井上は、天理市櫟本の和爾坐赤坂比古神社のあたりかと思います。

このあたりは和爾一族の本拠で、和爾氏と息長氏は非常に近しい関係にあったと言われてます。

 

 

藤原宮

しかし、皇后の機嫌が良くなかったので、藤原ふじわらに新しく殿屋を建てて、弟姫を住まわせました。

皇后が大泊瀬天皇おおはつせのすめらみことを出産なさった夜、天皇は初めて藤原宮に御幸されました。皇后はそれをお聞きになり、

「私が初めて髪上げをして、後宮に入ってから長い年月が過ぎました。天皇は酷すぎます。今私は、お産で生死をさまよっているというのに、どうして今夜に限って天皇は藤原に御幸されたのでしょうか」

とおっしゃられて、産殿を焼いて死のうとされました。天皇はこれをお聞きになり、大変驚かれて、

「朕が悪かった」

と謝られ、皇后の機嫌を取るために、いろいろとなさいました。

 原 文

然皇后之色不平、是以、勿近宮中、則別構殿屋於藤原而居也。適産大泊瀬天皇之夕、天皇始幸藤原宮。皇后聞之恨曰「妾初自結髮、陪於後宮、既經多年。甚哉天皇也、今妾産之死生相半。何故、當今夕必幸藤原。」乃自出之燒産殿而將死、天皇聞之大驚曰「朕過也。」因慰喩皇后之意焉。

 ひとことメモ

正室が出産の時に、側室のところに出かける。さすがに怒るでしょう。

「産屋を焼く」というところは、木花佐久耶比売命がお腹の子は別の国津神の子ではないかと瓊瓊杵尊に疑われて、ブチ切れて産屋を焼き燃える産屋の中で出産したという壮絶なシーンを思い出します。

もっと遡ると、伊弉冉尊が最後に生んだ「火の神」で、自分の陰部を火傷してしまいました。

どうやら、出産と火とは何か関係があるようですね。出産の穢れを火で浄化するとか。。。

天皇と衣通郎姫そとおしのいらつめの歌

允恭8年 己未つちのとのひつじ 419

二月 天皇は、密かに藤原に御幸され、こっそりと衣通郎姫そとおしのいらつめはの様子を窺いました。衣通郎姫そとおしのいらつめは、独り住まいで天皇を恋しく思う衣通郎姫そとおしのいらつめは、天皇がすぐそばまで来られているとも知らずに詠まれた歌、

わがせこが くべきよひなり ささがねの くものおこなひ こよひしるしも

我が夫子が 来べき夕なり ささがねの 蜘蛛の行ひ 是夕著しも

私の夫が来てくれそうな宵です 巣をはる蜘蛛の動きが 今宵は妙に目につきます

天皇はこれを聞かれて、感動して詠まれた歌、

ささらがた にしきのひもを ときさけて あまたはねずに ただひとよのみ

ささら形 錦の紐を 解き放けて 数多は寝ずに ただ一夜のみ

ささら模様の錦の紐を解き放して 幾夜とは言わない ただ一夜だけでも共寝をしよう

次の朝、天皇は、井戸の傍の桜をご覧になられて、詠まれた歌

はなぐはし さくらのめで ことめでば はやくはめでず わがめづるこら

花ぐはし 桜の愛で こと愛でば 早くは愛でず 我が愛づる子ら

桜の花の美しさよ 同じ愛するなら もっと早く愛すれば良かった 私の愛する姫よ

皇后はこれをお聞きになり、大層恨まれました。

 原 文

八年春二月幸于藤原、密察衣通郎姬之消息。是夕、衣通郎姬、戀天皇而獨居、其不知天皇之臨而歌曰、

和餓勢故餓 勾倍枳豫臂奈利 佐瑳餓泥能 區茂能於虛奈比 虛豫比辭流辭毛

天皇聆是歌、則有感情而歌之曰、

佐瑳羅餓多 邇之枳能臂毛弘 等枳舍氣帝 阿麻哆絆泥受邇 多儾比等用能未

明旦、天皇見井傍櫻華而歌之曰、

波那具波辭 佐區羅能梅涅 許等梅涅麼 波椰區波梅涅孺 和我梅豆留古羅

皇后聞之、且大恨也。

 ひとことメモ

まあ、好きにしなはれ、、、という感じです。特にございません。

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