日本書紀|第十九代 允恭天皇⑨|明石の大真珠

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赤石の大真珠

允恭14年 乙丑(きのとのうし) 425

九月十二日 天皇が淡路嶋で狩をされました。その時、大鹿・猿・猪が山谷に満ち満ちて入り乱れていて、炎のように現れては蠅のように散っていくような有様でしたが、しかし、まる一日しても一頭も獲れませんでした。

なので、一旦狩りをやめてうらないをしたところ、嶋の神がたたられて、

「獣が取れないのは我が心によるものなり。赤石の海底に真珠がある。その真珠を我にまつれば、獣は悉く獲れるであろうぞ」

と仰せられました。

このため、あちこちから白水郎あまを集めて、赤石の海底を調べさせましたが、海が深くて底まで潜ることができませんでした。

しかし、唯一人、男狭磯おさしという海人がおり、阿波国の長邑ながのむらの海人ですが、他の白水郎あまよりも優れていて、腰に縄をつけて海底に入り、しばらくして出てきて、

「海底に大蝮おほあわびがあります。そこは光っています」

と報告しました。皆が、

「嶋の神がお求めの真珠は、まず間違いなくそのあわびの腹にあるだろう」

と言いました。

そして、男狭磯おさしは、また潜っていきました。

男狭磯おさしは、大蝮おおあわびを抱えて浮かび上がってきましたが、息絶えて、波の上で死にました。そこで、縄を下ろして海の深さを測ると、六十ひろありました。

大蝮を割ると、腹の中に真珠があり、その大きさたるや、桃の実ほどもありました。そこで嶋の神にお祠りしてから猟をすると、多くの獣を獲ることができました。

ただ、男狭磯おさしが海に入って死んだことを悲しんで、墓を作り、厚く葬りました。その墓は、今も残っています。

 原 文

十四年秋九月癸丑朔甲子、天皇獵于淡路嶋。時、麋鹿・猨・猪、莫々紛々盈于山谷、焱起蠅散、然終日以下獲一獸。於是、獵止以更卜矣、嶋神祟之曰「不得獸者、是我之心也。赤石海底有眞珠、其珠祠於我則悉當得獸。」

爰更集處々之白水郎以令探赤石海底、海深不能至底、唯有一海人曰男狹磯、是阿波國長邑之海人也、勝於諸白水郎也、是腰繋繩入海底、差須臾之出曰「於海底有大蝮、其處光也。」諸人皆曰「嶋神所請之珠、殆有是蝮腹乎。」亦入而探之。

爰男狹磯、抱大蝮而泛出之、乃息絶、以死浪上。既而、下繩測海深、六十尋。則割蝮、實眞珠有腹中、其大如桃子。乃祠嶋神而獵之、多獲獸也。唯、悲男狹磯入海死之、則作墓厚葬、其墓猶今存之。

 ひとことメモ

阿波国の長邑ながのむら

阿波国の長邑ながのむらは、阿波国那賀郡すなわち今の阿南市・小松原市だと思われます。もしかしたらもっと南の海部郡海南町あたりかも。

 

男狭磯おさしの墓

男狭磯おさしの墓の伝承地は、

  • 兵庫県淡路市岩屋にある「石の寝屋」
  • 鳴門市里浦町の十二神社の境内

など、、、

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