日本書紀|神功皇后⑫|角鹿訪問・少彦名命の神酒

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少彦名神の神酒

神功13年(213年)

二月八日 武内宿禰に命じて太子に従わせ、角鹿の笥飯大神(けひのおほかみ)に参拝させました。

同月十七日 太子が角鹿より戻られたので、皇太后が大殿で宴を催されました。皇太后が太子に觴(さかずき)を献じて、太子を寿いで詠まれた歌。

この御酒は私が作った酒ではありません。神酒の司で、常世の国に鎮座まします少名彦の神の、豊に寿ぎ、踊り回って寿ぎ、神として寿ぎ、狂うほどに寿いで献上した神酒です。どんどん残さずにお飲みください。さあさあ

武内宿禰が太子に代わって返歌した歌

この御酒を醸した人は、その鼓を臼のように立てて、歌いながら醸したのでしょう。この御酒は、何ともいえず楽しくなるよ。さあさあ

 原 文

十三年春二月丁巳朔甲子、命武內宿禰、從太子、令拜角鹿笥飯大神。癸酉、太子至自角鹿、是日皇太后、宴太子於大殿。皇太后舉觴以壽于太子、因以歌曰、

虛能彌企破 和餓彌企那羅儒 區之能伽彌 等虛豫珥伊麻輸 伊破多々須 周玖那彌伽未能 等豫保枳 保枳茂苔陪之 訶武保枳 保枳玖流保之 摩菟利虛辭彌企層 阿佐孺塢齊 佐佐

武內宿禰爲太子答歌之曰、

許能彌企塢 伽彌鶏武比等破 曾能菟豆彌 于輸珥多氐々 于多比菟々 伽彌鶏梅伽墓 許能彌企能 阿椰珥 于多娜濃芝作 沙

 ひとことメモ

角鹿の笥飯大神(けひのおほかみ)

何故、角鹿(敦賀)笥飯大神(気比大神)を参拝したのでしょうか。

古事記では、「太子(のちの応神天皇)は禊のために敦賀の気比へ行った」との記述があります。

押熊皇子(天皇だったかも)を討ち殺して皇太子となった誉田別命ですから、穢れ満載だったんでしょう。だから禊を行う必要がありました。

何故、敦賀の気比なんでしょう。住吉大神の方がいいのでは?と思ったりしません?

敦賀は、仲哀天皇が造った宮であり、かつ、神功皇后との新婚生活を送った場所という、思い出の地であるというロマンチックな側面もあるかもしれないですが、

祭神の伊奢沙別大神は、実は天日槍ではないかという説があります。すなわち、気比大神は、母方の御先祖様であり新羅の神様なのです。母方のお墓参りをしたようなものですね。

少彦名神

久しぶりに登場しました少彦名命。

小さな小さな神で、ガガイモの殻を船にして海を渡ってきて、大己貴命と国造りを行ったのち、常世国へ行ってしまったという、まさに渡来神の特徴を持つ神です。

常世国といえば、タチバナの実を取りに行った田道間守がタチバナの実を取りに行った国も、常世国でした。そして、田道間守も神功皇后と同じく天日槍の子孫です。

なんか、つながります。

常世国とは、新羅のことだったのかもしれないですね。

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