日本書紀|神功皇后⑮|伽耶7か国の帰順・倭と百済の同盟成立

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七国を平定

神功49年(249年)

三月 荒田別(あらたわけ)と鹿我別(かがわけ)を将軍として、久氐らと共に兵を整えて、卓淳国に渡り、新羅を襲撃しようとしました。

その時に、ある人が

「これでは軍勢が少ないので新羅を破ることは出来ないでしょう。ですから、さらに沙白(サハク)と蓋盧(カフロ)を召し抱えて、増軍を要請しなさい。」

と言いました。

そこで、木羅斤資(モクラコンシ)・沙々奴跪(ササナク)この二人は、姓がわかりません。但し、木羅斤資は百済の将軍ですの二人に命令して 精兵を率いて沙白・蓋盧と共に進軍し、卓淳に集結して、新羅を攻撃し、これを撃破ました。

これによって、比自㶱(ひしほ)、南加羅(みなみのから)、喙国(とくのくに)、安羅(あら)、多羅(たら)、卓淳(とくじゅん)、加羅(から)の七つの国を平定しました。

更に、西の方に兵を向けて、古爰津(こけいのつ)に入り、また南蛮の忱彌多禮(とむたれ)を落として、百済に与えました。

 原 文

卌九年春三月、以荒田別・鹿我別爲將軍、則與久氐等共勒兵而度之、至卓淳國、將襲新羅。時或曰「兵衆少之、不可破新羅。更復、奉上沙白・蓋盧、請増軍士。」卽命木羅斤資・沙々奴跪是二人不知其姓人也、但木羅斤資者百濟將也、領精兵、與沙白・蓋盧共遣之、倶集于卓淳、擊新羅而破之、因以平定比自㶱・南加羅・㖨國・安羅・多羅・卓淳・加羅七國。仍移兵西、至古爰津、屠南蠻忱彌多禮、以賜百濟。

 ひとことメモ

荒田別

『新撰姓氏録』によると、荒田別命は豊城入彦命四世孫。上毛野田道(かみつけののたぢ)の父親。田道も仁徳天皇の御代に新羅討伐をしています。武人の家系と言えましょう。

鹿我別

鹿我別は、荒田別の子とも夏花命の子とも。

応神天皇の御代に百済に派遣された巫別(かがわけ)と鹿我別は同一人物だろうと言われています。

巫は、神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝えることを役割とする人々を指します。となれば、鹿我別は神に仕える者として、戦に加わったと考えることもできましょう。

古代の戦では、殊に大敵との戦には、将軍2名体制を取ったようです。1名は武人で、1名は聖人。聖人の役割は、もちろん神の御加護を頂くことでした。

 

7か国の帰順

  • 比自㶱(ひしほ)・・・慶尚南道昌寧
  • 南加羅(みなみのから)・・・慶尚南道金海
  • 喙国(とくのくに)・・・慶尚北道慶山、
  • 安羅(あら)・・・慶尚南道威安
  • 多羅(たら)・・・慶尚南道陜川
  • 卓淳(とくじゅん)・・・慶尚北道大邱
  • 加羅(から)・・・慶尚北道高霊

の七つの国は、伽耶を構成する小国群です。

我々が歴史の時間に習った「任那国」の中身と考えたらいいんでしょうね。

古爰津と忱彌多禮

  • 古爰津・・・全羅南道康津
  • 忱彌多禮・・・済州島

とされています。

 

百済国との盟約

この時に、百済の肖古王と王子の貴須(クイス)も、また軍を率いてやってきました。この時、比利(ひり)・辟中(へちゅう)・布彌支(ほむき)・半古(はんこ)の四つ邑が自ら降服してきました。

そこで、百済王父子と荒田別、木羅斤資らは、意流村(おるむら) 今は州流須祇喜(つるすき)といいます で落ち合い、顔を見合わせて喜び合い、礼を尽くして送りました。

ただ、千熊長彦(ちくまながひこ)と百済王とは、百済に着くと、辟支山(へきのやま)に登って、誓いました。更に、古沙山(こさのやま)に登り、共に磐石に座って、百済王が誓って

「もし。草を敷いて座れば、火で焼かれる恐れがあります。木を取って座れば、水に流される恐れがあります。だからこそ、磐石に座って誓うということは、永遠に朽ちることがないことを意味します。

これよりのちは、永遠に絶えることなく、窮まることなく、日本の西蕃(にしのみやけ)として、春秋に朝貢いたします。」

と言いました。そして、千熊長彦を連れて都に行き、厚く礼遇しました。そして、千熊長彦に久氐らを従わせて送りました。

 原 文

卌九年春三月、以荒田別・鹿我別爲將軍、則與久氐等共勒兵而度之、至卓淳國、將襲新羅。時或曰於是、其王肖古及王子貴須、亦領軍來會、時比利・辟中・布彌支・半古四邑自然降服。是以、百濟王父子及荒田別・木羅斤資等、共會意流村今云州流須祇、相見欣感、厚禮送遣之。唯千熊長彥與百濟王、至于百濟國登辟支山、盟之。復登古沙山共居磐石上、時百濟王盟之曰「若敷草爲坐恐見火燒、且取木爲坐恐爲水流、故居磐石而盟者示長遠之不朽者也。是以、自今以後、千秋萬歲、無絶無窮、常稱西蕃、春秋朝貢。」則將千熊長彥至都下、厚加禮遇、亦副久氐等而送之。

 ひとことメモ

投降してきた4つの邑

  • 比利(ひり)・・・全羅北道全州
  • 辟中(へちゅう)・・・全羅北道金堤
  • 布彌支(ほむき)・・・全羅南道光州
  • 半古(はんこ)・・・全羅南道羅州

このように、半島の南西部、今の全州・金堤・光州・羅州に比定されているようです。

意流村・辟支山・古沙山

  • 意流村・・・京畿道広州市という説と、忠清南道という説があります。京畿道広州市説は、ここで登場する地域から離れすぎているので、少しく疑問です。
  • 辟支山・・・全羅北道金堤にある山
  • 古沙山・・・全羅北道古阜にある山

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